Dramatic Surf Coaster ―The Band A℃という名刺
吉野さんの音楽の軌跡を辿る中でとてつもなく大きな存在がツアーDramatic Surf Coasterから一緒にライブを作っているバンド、The Band A℃だとおもう。
ようちゃん。
まるさん。
やまちゃん。
フッキー。
もっくん。
この文章を書いている今、彼らの愛称を叫びたくて仕方がなくなっている。
今年の3月、情熱アンソロジーの札幌振替公演で思ったこと。
それは私は吉野裕行のライブというソロのパフォーマー以上にThe Band A℃というバンドのライブを見に行っているんだということ。
みんなでこんな楽しい音を奏でているんだよ、そう語りかけてくるような歌だ。
だから吉野さんの曲に興味を持った友達には真っ先に勧めたくなる。疾走感やインパクトは少ないかもしれないけれど、優しく楽器と声が包み込んでくれるのがこのDramatic Surf Coasterだ。聞いているとサポーターの自分もふわりと包んでくれているのかなと思える。そして私はこんな素敵な人のサポーターなんですよ、よかったら仲間になりましょ、って手を差し出したくなる。
吉野さんのバンドの魅力は楽器の音が活きているところだと思っている。Kiramuneという男性声優のプラットフォームの中でどうしても「声」が先に来る。それは当たり前なのかもしれない。声を活かす音楽、というのが私の中にあった印象だ。
ただKiramuneの中でも特に吉野さんの歌活動はこのDramatic Surf Coaster後、ちゃんと楽器の音がサポートするものではなく、しっかりと届く音楽になっているような気がする。
だから私はThe Band A℃に会える28日が楽しみで楽しみで仕方がない。
レイニーナイター ―泥だらけのあの頃の勲章へ
いくら大好きで応援している人の楽曲の中でも、すべてを100%大好きと言える訳では無い。自分の中でのぶっちぎり1番のお気に入りもあれば、それほど心が揺さぶられないものもあるだろう。私にとって吉野さんの「レイニーナイター」は最初きらみゅんの公式で解禁された時、まさにそれだった。
感想は
「うん。普通。」
ただツアーというものは不思議なもので、吉野さんやサポーターのみんなと同じ時間を共にし、重ねていく事にどんどん惚れ込む曲がある。例えるなら、気にならなかったクラスメイトが急に席替えで隣になった瞬間惚れてしまうという状況だろうか。
2018年のツアーを重ねていく事に私の中で「レイニーナイター」はじわりと浸透していき、好きになったのだ。
この曲は子供の頃、夢中になって遊んでいて近づく雨雲に気づかず、濡れてしまうものの、心の中に残る爽快感を描こうとした…といったことを雑誌で読んだ。その時はそれをさらりと流してしまったのだが、いざライブツアー情熱アンソロジーが大阪で幕を開けた瞬間、私の上に雨が降った。吉野さんがあの曲で届けたかった心の震えを実体験できた、そんな気がしたのだ。
レイニーナイターの真骨頂は吉野さんとサポーターによる「wowow」の声のかけあいだと思う。感情を言葉に出来ず、その高ぶりに身を任せてでてきた音こそがこのシャウトなのだ。
だからだろうか。
重ねていく事に、どんどん身体にその記憶が刻まれていくので自分の中で楽曲の存在が想像以上に膨れ上がっていくからこそ、小難しい理由や考察を抜きにして、ただただ「好き!」と叫びたくなる。
これを読んでくれている人にはこんな感情になは曲はあるのかな?と考えながら今日はここでフリックする指を休めようと思う。
耳の恋人?
それはもちろん。
レイニーナイター。
情熱アンソロジー ―何度も見る灼熱の夢
心拍数が上がる音がある。
そう。声ではない。
音だ。
そんな身体の芯から興奮のあまり血が沸き立ち心拍数が上がる音こそ吉野さんの2018年のツアータイトルにもなっている「情熱アンソロジー」である。
ライブでは集まったサポーター達が手拍子をさして我ら自慢のキャプテンを待つ瞬間に流れた。ただでさえ今から始まる激アツな時間を前に心臓がバクバクと肋骨が痛くなるほど鳴っているのに、そこにこの歌のイントロが来るからもう大変。
実際ライブツアーを2019年3月に終え、その直後のキラフェスで聞いた時もライブハウスでの感覚が蘇ってきた。
それくらい深く深く記憶に刻み込まれている音こそ「情熱アンソロジー」の凄さだと思う。
この凄さは吉野さんが楽曲に仕掛けたギミックの効果も大いにある。私が「情熱アンソロジー」を初めて聞いたのはMV撮影のときだった。イントロが流れた瞬間に聞き覚えある音に瞬時に記憶の引き出しを探しまくった。
そう。これは吉野さんの最初のツアーCharge!のOP曲と全く同じ音だ。
そりゃ血が沸き立つわけだ。
だってこんなにも自分の中に刻み込まれている音なのだから。
ご自身もその後の雑誌やMCでも気に入っていたCharge!のあのメロディをもとに楽曲制作を依頼したと話していた。
吉野さんはよく、終わるから始まりがあると話している。情熱アンソロジーはそれを深く感じる曲だ。終わるから始まる。だからこそ何度も何度も一緒に楽しい夢を見ることが出来る。
なんとなくそう言っているように思う。
あと1週間とちょっと。
熱いステージでまた吉野さんと灼熱の夢を見ることが出来る。
アドレセンス―クローゼットの中にある服を着て
8月もあっという間に後半戦。
刻々と楽しみにしているアニバーサリーライブが近づいている。そんな今、声優・吉野裕行が歌い届けてきた作品を私なりに振り返りたいな、と思い今日から記事を書こうと決めた。
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1作品目は最新作【アドレセンス】
この作品を聴いていると大好きで大切にしている服たちがずらりと並んだクローゼットの前にいるような気分になる。
思い出を辿る、と聞くとサッと浮かぶのはアルバムや手紙といったものだろうけど、吉野さんの楽曲に関しては違う。私の中でピタリと当てはまるのが「服」なのだ。
服は毎日着るもの。
毎日、今日は何着よう?とクローゼットの前で考え、選ぶ。
たまにはコーディネートを間違えたり、気分が変わったり、季節外れになってしまい遠ざけたり、年相応になって着れるようになったり。
そんな何気ない日常を積み重ねてきてこの5年という時間ができたのだ。
吉野さんの楽曲の中でも一際わかりやすく郷愁をかき立てるのが新曲「アドレセンス」だ。
この楽曲はとにかくイントロから強い引力を持っている。これは持論だが、声が好きでハマる声優の楽曲でも本当に好きな作品はイントロからあまりの美しさに胸を掴まれてしまう。吉野さんのほかの楽曲でいうと「さよなら」や「Innocence」がそれに当てはまる。
とにかく聴いてくれ、と言いたくなる。
それくらい楽曲がただただ美しいのだ。
「アドレセンス」を聞くと聞いた人の数だけ思い出す顔がある。
リリースイベントや雑誌でも吉野さんはこの歌は多くの人に当てはまるようなものを描く、といったことを話されていた。
唇を噛む
忘れない面影
涙のにおい
街の灯り
綴られる言葉たちは鍵となり、ずっと胸閉まっていた大切な記憶を思い出させてくれる。
こんなにも自分に寄り添ってくれる曲があっただろうか。
そんなことを聞き終えた瞬間、じわりとした暖かい幸せに浸りながら考えるのだ。
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この作品のMVはとても美しい。
きらみゅんの中で私が最高傑作だと思っているUncle Bombの「手のひら」に続く胸打つ名作だ。(そして後日リリースイベントで同じ監督が撮影したと知るのだった。)
文字にするなら「削ぎ落とされた美くしさ」。
真っ白でシンプルな服をまとった吉野さんが椅子に座っている。背景にある紗幕に記憶の映像(出会ってきた人達と思わしき数々のシーン)が映されて行くのを見ていると、その映像はいつの間にか自分の記憶に替えられていくから不思議だ。
最後の一場面は本当に見事だ。
これ以上、多くは語らない。
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吉野裕行という表現者の歌がなんでここまで自分に響くのだろう。
これまで発売してきた数々の楽曲の中では出せなかった答えが「アドレセンス」で出すことが出来た。
それは思い出を美化しないから。
よくすべての出来事には意味がある、意味の無い出会いなんてない、という言葉を聞く。私はこれを信じていない。そりゃ全てのことに素敵な意味があって、キラキラ少女漫画の主人公のように生きていけたら素敵だろう。ただ人生はもっと泥臭い。
美化できない記憶は人それぞれあると思う。自分で言うなら例えばパワハラやいじめにあったこと。
これに意味があっただなんて思えない。こんなこと経験しなければそれに越したことはないし、今でも20代の貴重な2年間を返して欲しいと思うし、たくさんのものを失ったし、出会わなければ良かったとすら思うことがある。
もっとポジティブにいこうよ。
過去を否定するなよ。
他人のそんな言葉が素直に入るほど私は真っ直ぐに育っていない。
辛いものは辛いし、苦しいものは苦しい。
でも過去は変えられない。
ちゃんと「今」を抱きしめるために「過去」を否定せずありのままに受け止めるからこそ、私は吉野さんの歌が好きなのだと思う。
吉野裕行の楽曲と過ごした5年間。
気づけば私のクローゼットにはズラリとたくさんの服が並んでいる。穴が空いていたり、取れないシミが付いていたり、大切にしすぎてあまり着れていないものもあったり。
たくさんの服を眺めながら私はアニバーサリーまでの時間、言葉に出来ないような幸せに浸るのだろう。
さて。
今日はどんな服を着ようか。
トラベルログを始めてみようというお話
今月後半から9月にかけて愛媛の祖母宅に帰ったり、松江出雲にいくのでずっとやってみたかったトラベルログなるものを始めようと思い、近場の蔦屋書店に行った。
購入したのはZEQUENZの手帳サイズのノート。
最近なんだかとても文章を書きたい気分に駆られることが多い。
仕事でも文章を読み書きしていて、ブログ以外に30年近く続けている手書き日記もあるのに。我ながらどんだけだよ、と呆れるくらい。でも手を動かして書きたい欲は止まらない。
特に9月の松江出雲は遠征も兼ねてるとはいえ一人旅だ。
天気が良かったらレンタサイクルして、少し休む喫茶店でノートを開いて物書きができたら、なぁんて今新品のノートを目の前に妄想している。
一人旅のお供。
仲良くなれるといいな。
たくさん書けるといいな。
デジタル保存という落とし穴
断捨離という言葉が流行って早数年。一昔前お片付けで有名になったこんまりさんは今じゃアメリカのNetflixでの番組が大ヒットして大スターになっているとか。
ミニマリスト、断捨離、お片付け、整理整頓。なんと呼んでもいい。どうやら人間は今、片付けることに必死になっているらしい。
そいえばラジオでも吉野さんが断捨離しなきゃ…とよくおっしゃっている。
いやはや。これじゃまるで妖怪ダンシャリに追われているようではないか。
さて、そんな自分は…といえば生活していて無駄ゼロなわけではないが、特に断捨離に追われているという訳でもない。
私の心地よい部屋の基準は日々自分が快適と思える空間であり、それを作れたら多少モノがあってもいいと思っている。
なんでこんなことを言うかというと、正直なところ私はこんまりさんの「物にときめく」メソッドが苦手なのだ(一応流行った当時一応Kindleで著書を読んだ人)。家にあるものはトキメクものかどうかで判断するなんて私にとってはナンセンスなのだ。
理由は簡単。
だって私はトキメクものしかそもそも買っていないのだから。
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私は根っからの声優オタクだ。しかも歴だけ切り取ると17年というそこそこの長さである。ここまでずっと途切れることなく声オタをやってるのだからそりゃ部屋にモノはそこそこある。
ライブのグッズ、パンフ、CD、DVD、ポスター、クリアファイル、雑誌の切り抜き(これが1番の難関)…あげていけばキリがない。
でも手放したいものはあるか、と聞かれたらNO。
見渡せばトキメクものしか残していない。
だから私の部屋には無駄はないのだ。
それを自分なりにファイリングなどをして整理してまとめているから汚いわけではない(と思う)。
そんな私が今実際手に取れるモノ以上にどうしようか困っているのがデジタル保存しているものたちである。
どんなものか並べてみると…
・気に入ったネット記事やイベントレポート
・好きな人の写真
・音源データ
とかとかとか。
パソコンの外付けハードディスクはテラバイトという途方もない容量を誇るのでホイホイ右クリックしたりスクショしたり。その瞬間のテンションに身を任せてポチポチ保存している。なのでパソコンやスマホの中のデータ量は膨らむばかり。
そこに紙媒体を自炊してスキャンしてるから本当にデータ量はあっという間にテラバイトの容量を食いつくし始めている。
不思議なのはこのデータ保存しているデータ量が自分にストレスを与えているということだ。
それこそトキメクものだけを厳選していないからなのかもしれない。
無限に保存空間を与えられるとそれがストレスになる。
まさにデジタル保存という落とし穴である。
そんな私は毎日のようにスマホの中の画像データを振り返りながら削除する作業をしている。
彼の言葉が私の中にじっくりと染み入る
実はこの記事の書き始めは「7月に入りましたね。雨雨雨」だった。そのネタとも呼べないほどの記事の下書きを温存しすぎた結果、只今8月に入り(しかも日付が変わって間もなく上げているはず)、鉄板のようなコンクリートジャングルで日々過ごしている。
つまり。
ネタは新鮮なうちに文章にしないとこうやってあっという間に時間が過ぎてしまうのだ。
そして前置きも長くなるのだ!!!
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7月は自分が気になっている人、応援している人の言葉たちがじっくりとゆっくりと沁みることが多い月だった。
ここで書いている人とは誰かと言うと、すっかり声に姿に惚れ込んでしまった関ジャニ∞の丸ちゃんである。
ことの発端は雑誌。元々神谷さんや声優さんがここ数年でテレビ誌に出ることが増えたのでそのオマケ的にはジャニーズの記事を読んでいた。(購入したからには隅々まで読まないと損した気分になる貧乏人気質)しかし、まさかそのオマケが自分の目的になる日が来るとは。
いやはや、人生何が起きるか分からない。
その中でもananの記事はなかなかの読み応え。
色っぽさとは何かについて、写真家の梅佳代さんと友達のように語る丸ちゃんは、ここまで等身大で飾らずにいられるのかと思ってしまうくらい言葉のチョイスが真っ直ぐだった。
「こういう事をやりたいと叫んでいる男は色っぽいと思う」
仕事が好きなんだろうなぁという一言に、胸がキュッてなったのはここだけの話。
「意図のない人はすぐわかる」
これは仕事している人はドキッとしてしまったのではないだろうか。瞬時に自分のことを振り返ってしまった。
なかでも1番ドキドキしたのはこのストレートすぎる表現じゃないだろうか。
「撮る取られるはベッド・インしているようなもの」
ここまで撮影(つまり仕事)のときに素でいられるってすごいことやと思うし、それは覚悟でもあるのかな、と感じてしまった。
翌週の締めの色気とは…については「滲み出るもの」「その人の生き様や自信や自負のあらわだと思う」とまとめた丸ちゃん。
前にも書いたように自分の中でプライオリティは仕事。だからこそ、かな?彼の言う色気を身につけたいなぁと、雑誌を読みながら考えてしまった。
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私は昔から気になる人がいると写真やグラビアよりも雑誌という活字情報を追いたくなる。丸ちゃんについても同じく。丸ちゃんについて少しずつ読み進めていく中で、この人の言葉は飾り気がないからこそ、ゆっくり咀嚼して味わって飲み込みたいと思える。
これからも活字は気持ちが赴くままに読んでみたいと思う。
これだから言葉は面白い。
これだから好きな人の言葉は面白い。