「続く」 という言葉にかけるファンの想い
続く
to be continued
最近「続けること」について色々考えていたので今日はそんな話をポロポロとしたい。
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17年近く世間一般的にニッチと分類される男性声優を追いかけてきた私はどんなコンテンツが登場しても、ついその最後を意識してしまう。これはいわば一種の癖のようなもので、今でも神谷さんや吉野さんの新曲発表があっても、いつも最後かもしれないという気持ちで発売日を迎えている。期待していない訳では無い。ただ瞬く間に消えてゆくコンテンツを目の当たりにしすぎたのか…そういう思考回路ができあがってしまっている。Kiramuneなんてその最たるもので、本当に2009年の1回きりだと思っていたし、10周年というのは当時の私にとっては夢のまた夢どころか思いつきすらしなかった。物事に終わりが来るのは至極当たり前。それがメジャーでないのであればなおさらだ。
最初に続いていく当たり前が崩れたのはCONNECTの活動休止だった。5周年が見えてきた矢先だった。さすがの私も続くことに安心感を抱き始めた頃だったから頭を殴られたような衝撃があった。それでも彼らが活動休止前、最後に出したアルバム【ニンゲン!ジェッター人間!!】のCDを取り出した時震えた。
そこにははっきりとこう書かれていた。
to be continued
続く、と。
その数年後だった、神谷さんが今度はハレプロジェクトの5枚目【ハレゴウ】を出した。CONNECTが活動休止に入った頃、1人とてつもないものを背負っていたのをファンミーティングなど参加していて感じた。それこそ私は最後を覚悟していた部分があった。
ハレゴウのPVはその軽快な音楽にマッチしたコミカルな時代劇風な仕上がりになっている。旅する侍に扮した神谷さんの道中をのぞくような作品だ。そのラストシーンが私はとても好きだ。目の前に広がる青空と原っぱ。台地を踏み締める侍、神谷さんの背中からパンアップして空に浮かんだのは筆で書かれたこの2文字。
続く
続くという言葉がファンに与えてくれる安心感は絶大だ。それは次への約束に他ならないからだと思う。先の楽しみを約束してくれるから前を見れる。前を見る楽しみがある。
そういえば関ジャニ∞の十五祭のラスト、スクリーンに浮かんだ文字もこれだった。
15→16
to be continued
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ここ最近、スカパラ30周年を祝って彼らは音楽番組によく出演されている。ラジオ【大倉くんと高橋くん】に谷中さんが出演されて以来、私はあの素敵なおじさまたちが気になって出演されている番組を見ている。その中で1番印象に残ったのは不慮の事故で変化せざるを得なかった時の残ったメンバーの心境だった。
続けなきゃいけない、今そのまま走らないといけない。
強い人達が続けることはもしかしたら変化することを意味するのかもしれないとテレビを見ながら私は感じてしまった。
続くということは尊いこと。
そんなことを強く感じるタイミングが今年はなんと多いことか。
だからこそ私は許される限り応援している人達と共に「続く」約束のために前を向きたいと思う。
【旅ログ】島根(9.7→10) その1
少し前の話。
9月の初めに私は島根一人旅に出た。
旅立つきっかけをくれたのは吉野さん。松江で開催される茶風林さん主催の小泉八雲の朗読会に出ると聞き、悩まず島根行きを決めた。
いざ決めたら話は早い。そういう意味では迷いなき30代、トオコ。通訳案内士の勉強で得た島根知識をフル活用。松江に行くついでに足立美術館にもいけるし、念願の出雲での縁結びもできることに瞬時に気づいた。
もしかしたらこの旅、とても有意義な時間に出来るかもしれない。
これは上手く言葉に出来ないのだけど、なんとなく行くなら今しかないという気持ちが強かった。大袈裟かな?でもそういう直感って大事にすべきだと私は思っている。
そこには明確な理由が自分にあった。
私は1人になりたかったのだ。
この世で私の居場所は誰も知らない。
私だけが私の場所がわかる。
それくらい本当の意味で一人っきりになりたかった。
そうすることで、もしかしたら今の自分の足元を踏みしめて大地を感じることができるのではないかと思ったのだ。
早朝羽田に着いた私には迷いなんて微塵もなかった。
気持ちは飛行機の窓から見える青空のように澄んでいた。
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2019年9月6日 (晴)
米子~足立美術館~
早朝のANA便で早速私の旅テンションがアガる出来事があった。なんと後ろが仲良しサポーター友達だった。
それぞれ島根での行先が別れていたものの、米子までは一緒。こういう出会いもまた嬉しい。
米子といえばゲゲゲの鬼太郎。電車も鬼太郎推し(笑)
朝ののどかな田舎をガタゴト電車に揺られていざ、米子へ。
いつも東京で会ってるサポーター仲間なのに旅の途中でこうやって話しているとなんだかいつもより濃密でゆったりとした時間を過ごしている気分になるから旅とは不思議なものやね。
友達二人は特急やくもに乗り込み出雲へ向かい、私はこの旅の大きな目的5つのうちの1つ、足立美術館へ。
ただし。
早朝始発便で空腹〜ということでインスタで見つけたフルーツが美味しい喫茶店へ!!
米子の朝ごはん
目的地は米子駅から15分ほど歩いて市民図書館の横にある喫茶店フルーツハタノさん。本当は開店まで10分あったのに、お店の方のご好意で入れて下さり、感謝。近くの岡山は晴れの国と言うけれどこの日の米子も負けないピーカン晴れ!!とても暑くて体力も奪われていたので助かった。
お腹を体に優しい糖分で満たして、いざ足立美術館!!!
と意気込んで米子駅に向かったものの、時刻表を調べなかった私は失敗。なんと次の電車まで50分。山手線の便利さに慣れてしまったため身についてしまった無計画さを反省。とはいえ私も旅慣れたもので、この時間を使って名物白バラ牛乳とパンを購入。
駅のベンチに座ってこんなゆっくりするの、いつぶりだろう。
安来まで1駅(といってもそこそこ距離はある)揺られて駅からシャトルバスに乗り込んで足立美術館へ。
足立美術館はずっと行きたいと願っていた美術感だった。大学2回生の時に小堀遠州の庭園を研究テーマにしていた頃から気になっていた。どんな空間なのだろう?こんな雄大な庭、行ってみたいに決まってる!!
そして実際この光景が目の前に広がって立ち止まってしまった。
青空にその下に広がる山々。吹き抜ける風が優しくてまるで絵画の中を生きているような気分になった。
もちろん展覧会もじっくり楽しんできた。今回は横山大観メインの展示。私のお気に入りは竹内栖鳳のコレクション。獅子をはじめ動物を描いた作品はとても素敵だった。
もっとゆっくりしたい気持ちだったが、実はこの日の酒林堂の公演に入る予定だったので私はここから松江に向かって移動開始。
酒林堂さんの朗読会のお話はまた別の記事にして、その日の夜のお話。
朗読会後はずっと飲みに行きたいねと言っていた友達と松江の駅で落ち合って老舗のバー山小舍へ。
既に22時を過ぎていたのでこの日はゆったりおしゃべりしながらお酒を酌み交わしていました。
気分もとても良くなり、カウンターでバーテンさんを交えて楽しく深夜までいい時間を過ごしました。
私が頂いたのは旬のフルーツ、シャインマスカットのフルーツカクテル。
友達が山陽の出身ということで色んな地元のお話を聞かせてもらっていたら、いちじくの話題に。実はいちじくが大好きな私。それを聞いていたバーテンさんがサービスで熟した美味しいいちじくを出してくれて…こういう出会いや交流があるからカウンターバーが大好き。
ホテルまでの帰りは思っていた以上に暗くて怖かったけれど、橋の上で夜空を仰いだら星がとても美しくて友達と感動。
星って綺麗だねー。
なぁんて酔っ払い2人でキャッキャした松江の夜。
朝から盛りだくさんだったけれど、一つ一つ自分の好きなものにじっくり触れて大切にできた1日だった。
ハッシュタグに込められていたのは最高で最強の愛でした。
9月30日が来た。
私なんてたった半年前に関ジャニ∞に惚れ込んでしまった超が付いちゃうくらいの初心者エイターだから、人によってはお前に何がわかるんだ、って思われるかもしれない。
でも私は出会ってしまったのだ。
彼らの音楽に。
彼らに。
そしてその真ん中に立っていた錦戸亮というアイドルに。
ファンになるというのは本当に人生を変えることなのだと感じている。過去の作品や番組、音楽を遡り、エイター友達に勧められたものを見まくって語り合ったり。アイドルとは自身が輝いてる存在だとは思っていたけれど、しがないいちファンの毎日をこんなにも照らすから、本当に凄い。
たった半年。
その間に彼らはテレビや雑誌の向こうにいる「知っている」存在から「応援する」存在へとなったのだ。
だからやっぱり私なりに感じる寂しさは確かにある。
関ジャニ∞を少しずつ知っていく中で1番の印象が変わったのが亮ちゃんだった。それまで私が知っていたのはドラマや映画の中に登場する役者さんとしての一面。クールでカッコイイ。さらにオールスター感謝祭やVS嵐で番組や作品を背負って出る時にその器用な振る舞いと頭の回転の良さを感じるコメントに惹かれたのを覚えている。
関ジャニ∞の錦戸亮のイメージは実はすごく薄かった。私もハマる前は世間一般のイメージと変わらず関ジャニ∞といえば「とにかく元気な曲でワイワイ騒ぐでー」っていう印象だった。だからその中での亮ちゃんってどこか浮いている印象が強かった。それはイメージに合わないとかあぶれている、というのではなく彼らの中の「アイドルとしての光」が亮ちゃんだったのだと思う。
ただライブのMC集や特典でメンバーといる時の姿はアイドルでも役者でもなく、等身大の錦戸亮だった気がする。1番のお気に入りはいきなりドッジだ。吠えたり、おねだりしたり、ビビったり。見ていくうちにこんなにも感情を真っ直ぐに出せる人なんだと思えてきて、愛おしさが増した。
とにかく笑顔と笑いが多いエイトの番組。あのみんなの笑顔を見ていたら他に言葉はいらないと思う。
最高の笑顔なんだもの。
十五祭は本当に楽しかった。
ああ、これが体験したくて仕方がなかったエイトのライブなんだって思ったら涙が溢れそうになった。その真ん中でギターを担いで歌っていたのは亮ちゃんだった。
次の夢を見つけちゃった亮ちゃん。
それを作り上げたのはこの15年の時間の中でキラキラの笑顔でペンライトを振っていたファンたちなんだと思う。だから今はどんな感情が渦巻いていても私は同じエイターとしてそのことは誇っていいと思う。
それは東京ドームが8色に輝く空間だったのだから。
目の前にはエイターが。
横にはエイトたちが。
そしてきっと胸にはあの2人が。
「みんなが」ちゃんと居るんだと私は9月3日に思ったのだ。
これを書きながらある言葉を思い出した。脱退退所のニュースが流れた時、とある番組でファンの方が言っていた。
「応援することはファンにしかできないことだから」
私は半年前に出会ってしまった。
いいな、好きやな、って思ってしまった。
それはどうしようもなくホンモノの気持ち。
だから今亮ちゃんに言葉を贈るなら
「君に幸あれ」
だろうな。
と、ここまで気丈な文字を並べているが最初に書いた通り寂しいものは寂しい。
だから今日くらいはこの寂しさを少しずつ飲み込みながらエイターたちの最高で最強の愛に溢れたハッシュタグを追いかける。
#錦戸亮
そう、片手にはバナナジュースを握りながら。
9月を振り返ると、とても濃密だったなぁと思う。
自分のPCを立ち上げ、真っ先にチェックするのは時計だ。そして同時に視界に入る日付を見て短くため息が漏れてしまう。
今日は9月29日。
あと一日で9月が終わる。
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いつも以上にこの29日間を愛おしんでしまうのはそれだけ濃密で幸せだったということなのだろう。
ふぅ。
「ため息をつくと幸せが逃げるよ」なぁんて人は言うけれど、今のため息はどちらかと言うと幸せがキャパオーバーだから盛れてしまっているため息だ。美味しいハンバーグだって沢山食べたらゲップしてしまう。今の私はそんな感じ。慣れない幸せについて本気出して考え、そして戸惑っている。
どの年よりも2019年の自分は誰よりも自分らしくいることが出来たと思う。
がむしゃらに頑張りはするけれど、無理はせず、背伸びもしなかった。
これまでは足に合わないハイヒールを無駄にカツカツ言わせて歩いていたと振り返って思う。でも今年は何がきっかけだったかなんて分からないが、たった1センチヒールを低くしたらフィットして軽快に歩けることを学んだ。
ここではサラリと9月を振り返ろうと思う。これは人に読んでもらうための日記というよりも、自分のための日記だ。
この気持ちを忘れたくないな、と思っている。
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9月3日関ジャニ∞ 15th Anniversary Live【十五祭】@東京ドーム
私は幸せ者だ。1つの繋がりがキッカケで縁がめぐり参加することになったオーラス公演。あの2日後に亮ちゃんの退所発表があり、私が「関ジャニ∞の錦戸亮」を見たのはこれが最初で最後となった。
楽しかったこと、そのあとからずっと考えていること。正直たくさんありすぎてまだ上手く文章にはできない。けれどこれだけは心から思う。
関ジャニ∞の錦戸亮が見た最後の光景が東京ドームいっぱいに広がるエイトとエイターたちの笑顔とペンライトでよかった、と。
9月6日入野自由ライブツアー2019【TEN】@ Studio Coast
入野自由くんの今年のツアーはKiramuneでの音楽活動10周年を記念したとても素敵な時間だった。過去を振り返りながら、ファンへ感謝というよりも、ここから前へ行くんだぞという決意表明のようなライブだった。
何よりもライブとはこんなにも清々しく終われるのか、と感じた時間だった。
9月7日酒林堂八雲
2泊3日(予期せぬ台風の影響で延泊)の島根旅行を兼ねての朗読劇公演に参加。
ろうそく一本のあかりの中浮かび上がる吉野さんをはじめとした演者の表情。そしてあまりの近さに全身を包み込むような声の圧に触れて震えてしまった。
9月21日 誕生日でした(*ˊᵕˋ*)
9月23日 大切な人の結婚式
スピーチ頑張った!(笑)
9月28日水島精二監督20周年記念イベント
こちらは友達が急遽来れなったため、ピンチヒッターとして参加。
トークゲストは神谷さん、吉野さん、三木さん、そして脚本家の會川さん。対談式のわちゃわちゃしたものだと思いきや、まさかの1対1の濃密トーク。
とても贅沢な空間!!!
あとこれだけ!
三木眞一郎様の圧倒的カッコ良さ。
Emotional ―感情を解放したその先
Emotional
この1枚を聞いた時、知らず知らずのうちに心にかけてしまった沢山の鍵を、一つずつ耳に届く音がそっと開けてくれたような気がした。
リード曲の《Innocence》を初めて聞いた時、私は声を上げて泣いていた。
その理由を考えてみた。
人に言いたいけど言えないこと。
空気を読まなきゃいけないこと。
理性が先に働いて縮こまってしまうこと。
それを全て解放してくれたが故の涙のような気がしたのだった。
感情をパレットの上に固まってしまった絵の具に例えたとして。この吉野さんの音楽はそれをゆっくり溶かして、まっさらなキャンバスに色が伸びて行くようなイメージだ。
その伸びていく色はけして綺麗じゃないけど、ああ、自分たちの想いってInnocence…純真無垢なんだ、って思える。
自分の嫌なことも好きなことも全部受け止められる、そんか1枚が私にとっての【Emotional】