色んな感情の根本にあるのは、たぶん「投影感」の有無なんだと思う
タイトルに書きたいことをすべて要約してしまった。
久々に声優という自分のライフワークのようなものについて語るのに、こんな長ったらしいタイトルを付けてしまった。なんだか恥ずかしい。
さて、ここから先を読む人にわかって欲しいのは私は全肯定型のファンではないということだ。私には私の感想がある。好みがある。そして苦手なものがある。
それを踏まえてここから読み進めるなり、途中でやめるなり自由にして欲しいと思っている。
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昨年クリスマスに発売された神谷浩史さんのミニアルバム《CUE》のMVを見た私の感想はこのタイトル通り。
ああ、私が神谷さんの歌に無意識のうちに求めてしまってきたのは投影感なんだろうな、と確信した瞬間だった。
神谷さんの新しいミニアルバムは所属レーベルKiramuneのメンバーたちの楽曲をロック調にアレンジした《ハレロク》以来のカバー作品集だった。Kiramuneはレーベル設立時からファンだし、知らない曲はないくらい私はKiramune所属のメンバー全員が大好きだ。それぞれのソロライブも欠かさず参加していたし、ここの歴史で自分が知らないものはないのではないかと思う。ここまでくると人によっては古参ゆえの面倒臭さい愛のように感じるだろう(否定はできない)。
神谷さんのカバー企画はずっと願っていたものだったし、今回の《Cue》ではもう1人応援している吉野裕行さんの歌をカバーすると知っていたので期待は大きく膨らんだ。
発売日はクリスマス。
届いたCDのパッケージ。
選びに選び抜いた特典のブロマイドの笑顔が眩しい。
クリスマスにプレゼントを貰うことも少なくなってしまったので、封入メッセージカードの「メリークリスマス」の文字にワクワクした。まるで神谷さん=私のサンタさんだ。緩む口元をだらしなくにゃぁーっとさせながらデッキに円盤をセットした。
そして。
MVを見て心が無になった。
見終えた私の中に残ったのは怒りでも、苛立ちでも、不快感でもない。そんな感情の起伏はまったくない。
ただ静かに水平に走る線のように「無」。
元々私は感情の波に乗ることはない。その勢いに任せて呟くこともあまりない。真っ先に思考を支配するのは、なんでこんな感情になったんだろうという分析なのだ。これはもう癖のようなもの。
なので今回もこの「無」はどこから来るのか考えてみた。
① Glorious Timeの歌詞の変更
今回MV(リード曲)になったのは《ハレヨン》で神谷さんが新たな扉を開いたと言われている代表曲のひとつ【Glorious Time】のセルフカバーだった。
イントロからピアノの旋律がとても軽やかで美しいこの曲。人気の理由のひとつは歌詞を通して神谷さんがこれまで(発売のタイミングでは5周年)の歌活動について語っているようなところだと思う。歌活動を通して得たものが、神谷さんにとって大切なものだとはじめてストレートに伝えてくれた気がした。私自身、この曲を聴きながら歌活動5年目にして伝えてくれたこのメッセージに心を踊らせたのを覚えている。
ただ今回、その歌詞が変更された。
ラストのコーラス
Now or never
Precious moment
Keep on smiling
Glorious Time
ライブの中でこの部分をみんなで歌うのが大好きだ。
ただ今回はこうなっていた。
Now or never
Always here for you
We'll keep on smiling
Glorious Time
自分は英語の通訳翻訳家という点から言葉について話すのであれば、そもそも音と英語の語呂がハマらない気がしている。
さらに気になった点:新しくなった歌詞の「We」は誰を指しているのだろう?
私はこう考えてた。
このアルバムは神谷さんの10周年を記念するもの。もしかしたらこの「We」は今、神谷さんの横にいるKiramuneのメンバーたちのことなのかもしれない、そう私は感じたのだった。だとしたらなんて暖かい曲なのだろう。
そんな温かさに包まれたのも束の間。
そのイメージをMVが打ち砕いたのだった。
② エキストラ参加型というMVの作り
この作品の大きなポイントとも言えるのがKiramuneのファンクラブでエキストラ参加を募集したことだ。これは大きな賛否を呼んでいるし、その理由は私にも理解出来る。ファンという同じラインに立っているはずの者同士が「参加できた人」「参加できなかった人」に別れるのだ。同じ感情でいることの方が私は難しいと思うし、このエキストラという試みのリスクでもあると思う。
まずはじめに明言する。
私はこれに参加出来ていない。
ただ見た後に残った感情が嫉妬心かと言えばそれも違う気がする。先程も書いたように「無」になったのだ。いつもなら神谷さんが可愛いだの、あの仕草が最高だの、ひとしきり騒いでいるのに。今回はそれがなかった。
特筆すべきことがない。
何故ならばその画面の作りとして、今回のGlorious Timeから突きつけられたのは「そこに私は含まれていない」という寂しさに満ちた疎外感だったからだ。
疎外感の原因はいくつかある。
①で話した歌詞の変更もそのひとつだ。これまで神谷さんからファンへというメッセージが、急に変わった。そこへの戸惑いは正直、ある。そして言葉だけなら聞き流せていたものが、MVという強烈な視覚情報として入ってきたからこの気持ちに拍車をかけたのだと思う。
MVのつくりにも要因があるような気がする。
③ MVの構成
このMVでは《ハレヨン》を彷彿させる真っ白なスタジオに白い衣装を着た神谷さんがそこにいるだけというシンプルさを極めたものだ。たしか川谷監督はこれを「浩史100%」と言っていた。
イントロから《ハレヨン》のときと重なるようなポージングで優しく微笑む姿。冬に発売という事でやわらいニットセーターを着ていた。その次のカット。画面に写ったのは学校の合唱コンクールのときのようにズラリと並んだエキストラとその真ん中で歌う神谷さんの姿だった。
急に何も意識せず音源の中で聞いていたコーラス部分が「神谷さんを応援するファンのみんな」のもの、というよりも「たった今画面の中にいる人達のとの」という印象が強烈に残った。
投影感とは画面の中にどれだけ自分の気持ちをのっけることが出来るかという意味で私は使っている。神谷さんの気持ちにのっかるわけではないので、共感ではない。あくまで気持ちの真ん中にいるのは自分なので「投影感」と呼んでいる。
話を戻そう。
その後は追い打ちをかけるように、5人程度のグループショットが間奏パートでパパっと流れた。これははっきりと顔を認識できるレベルだった。
ここで私は気持ちをこの曲にのせることは厳しい、すくなくともこのMVでは厳しいと感じた。
突きつけられたような気がしたのだ。
この声は私の声ではないという事を。
そして同時に引っかかっていた「We」は不特定多数の「私たち」ではなく、あの画面の中で完結した「神谷さんと参加した私たち」なのではないかと感じてしまったのだった。
歌が苦手だと語っていた神谷さん。そんな中でもライブを通して伝えたいことができた。それを歌にしたと何度も雑誌で語っていた。
ただセルフカバーverのMVではこの曲で神谷さんは何を伝えたいのか、私は急に分からなくなってしまった。
そして何も感じなくなったのだ。
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画面が作り出すインパクトは想像以上に大きい。
先程書いた通り合唱のシーンだけでなく、個別認識できるカットがあり、「そこにいる人」と「そこにいない人」を見せつけられたため、無意識のうちにボーダーを心が引いてしまっていた。
同じようなエキストラ参加型といえば以前CONNECTや吉野裕行さんがやったことがある。どちらもセッティングがライブ会場の様子だった。もちろんファンの映像もあったがメインにあるのは歌い手であり、楽曲だった。だからこそ私は自分の姿をそこに投影できたようなきがしたのだと思う。この2つのMVは大好きである。
こうやって考えていくうちに自分が求めているものに気づいた。
ほかの人たちはどう思っているのか、気になるところではあるが、こういう話題は私がコントロールできるブログでするのがベストなのかもしれない。
※ここまでだいぶ好き勝手書いたけれどあくまでこれはMVの話。映像無しだと実は何も気にならないんです。
忘れられない音楽体験 〜関ジャニ∞/YOU CAN SEE
2020年のライブ初めが明日に迫ってきた。
年末に購入したまっさらなスケジュールに1番に書いたのは佐伯ユウスケさんのワンマンライブ【ウラオモテンション2】。
少しずつライブに向けて準備をしながらチケットを見て、口元が緩ませる。お風呂入りながら、ラジオ聞きながらネイルしよう、当日は誕生日にもらった可愛いリップ塗ろう、なぁんて考えていることに気づいた瞬間、自分がこのライブをいかに楽しみにしていたか気づいて、一人暮らしの部屋の中で「ふふふ」と笑ってしまった。
「佐伯ユウスケ ウラオモテンション2」
いつもより少し丁寧に予定を書き込みながら、ふとあることを思い出した。そしてすぐさま自分のスマホのメモを探り始めた。
―あった。
それはちゃんと律儀にタイトルまでつけて保存してあった。(こういう時メモ魔な自分の性格を褒めたくなる)
メモにはこう書かれていた。
「佐伯ユウスケ ウラオモテンションカバー曲」
西野カナ/君って
☆村上&丸山(関ジャニ)?/YOU CAN SEE?
柿原徹也/咲いちゃいな
入野自由/ I am I
吉野裕行/さよなら
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ファーストワンマンライブ、ウラオモテンションが開催されたのは2018年5月。
村上くんと丸ちゃんの名前や楽曲タイトルの横に自信のなさの象徴であるハテナが書かれているのを今見ると笑いが漏れてしまう。
本当に。
2018年の私は2019年にFCに入っている私なんて想像出来なかった。
私がeighterになったのは2019年の2月だった。
つまりこれは私が関ジャニの音楽に本格的に触れるずっと前のもの。(メモなので呼び捨てになっている点は許してほしい) しかもスマホにメモするということは、その曲を相当気に入ったのだろう。メモの横にしっかりと目立つように☆マークを付けていた。この記事を書きながら思い出したが、佐伯ユウスケさんのライブのセトリを作る時【You Can See】だけ音源がどうにもこうにも手に入らなかったのだった。
だから私の中でこの曲は幻の曲となったのだった。
いつかまた出会えるかな?
また聞きたいな。
関ジャニ∞のライブとか見たらいいのかな?
そんなことを考えながらこの曲に思いを馳せていた。
幻とはいえ、【You Can See】を聞いたときに体に走った感動の震えはよく覚えている。
メジャーシーンのアーティストからアニソンや声優まで、幅広い表現者たちに楽曲を提供してきた佐伯ユウスケさん。自身で生み出した提供楽曲を披露するこのコーナーではステージにピアノと佐伯ユウスケさんだけ。彼はピアノ1本でほかのアーティストに託した曲を愛おしそうに歌い上げていた。そして私はその真っ直ぐな旋律に聴き入ってしまっていたのだ。
音に対して言葉数が少し多めのユウスケさんの歌詞。それはコロコロと自然と口の中を転がるようで、一つ一つの音がとても心地良かった。
―きっともう空のあの人に泣きそうです
―今では楽勝です
―現在に勝てたらはじかれそうです
このですます調になる部分はどこかよそよそしさがあり、胸がキュッとなる。そしてその印象は強く鼓膜の中でリフレインしてしまう。
しかもユウスケさんのワンマンでは楽器はピアノのみ。ジャズっぽいくぐもったようなツヤっぽい大人な雰囲気が素敵だった。
そして2020年1月。私はあと少しでeighter1周年を迎えようとしている。
気づけばただ「知っている」だけだったエイトは今では「応援する」人になったのだ。
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【You Can See】との再会はeighterになってすぐに訪れた。友達が貸してくれたPuzzleのライブDVDのユニットコーナーでイントロが流れた瞬間鳥肌が立った。脳みそが恋焦がれた相手(音楽)との再会を喜んで祝福のベルを鳴らしていた。「私!これ!知ってるよ!!!」そう声にならない思いが身体中を駆け巡った。
スポットライトを浴びた村上くんと丸ちゃん。今思うとちょっと背伸びしてたのかな?って微笑んでしまいそうなシックな装いだった。その表情は少し緊張しているようにも見えた。あの頃のスタンドマイクとのなんとも言えない距離感が愛おしいステージだった。
この曲の魅力は英語と日本語の歌詞が入り交じっているところだと思う。歌詞の音、そして素敵な声を持つ2人の声帯にのせたらどうきこえるのか。ソングライターの佐伯ユウスケさんは実はそこまで考えたのではないか?と思ってしまうくらいバシッと村上くんと丸ちゃんの声帯にハマるメロディを生み出している。クリエイターのユウスケさんはこの二人のこういった声のトーンまで意識した歌詞を書いたのではないか。
そしてこの喜びの再会を果たした瞬間もうひとつのことに私は気づいたのだった。
このユウスケさんのライブで【You Can See】を聞いていたときは私の意識に関ジャニ∞という存在は影も形もなかった。顔が浮かぶこともなかった。そりゃそうだ。あの頃私が知ってた関ジャニ∞は【ズッコケ男道】のような紅白やカウコンで見るテイストのものだった。まさかこんなジャズっぽい大人の空気を持つ曲を歌うだなんて思いもしなかった。
ユウスケさんの声は雑味のない真っ直ぐな声を持つ。パキッと気持ちいい明るさと暗さのバランスが絶妙なのだ。そんなユウスケさんの【You Can See】はドライでサバサバしていた。そしてその分、歌詞がとても良く耳に届く。だからこそこの曲に私は惹かれたのかもしれない。
そして再会して、自分がエイトの中でも好みの歌声を持つ丸ちゃんの声で聞いた時、この曲が完成されたような気がした。
なかなかクリエイターがカバーする場面というものに出くわすチャンスはない。しかも知らないうちにそのアーティストにハマって楽曲と再会するなんて、どれくらいの確率だろう。
これほ本当にとても素敵で忘れられない音楽体験だった。
そして振り返って私はこう思う。これはこの上なく純な状態で曲に出会えたってことなのかもしれない、と。そしてこんな出会いはかなりラッキーなんじゃないか、と。
今この曲を聞いたらどうしたって大好きな丸ちゃんのことがリンクして脳裏にあの笑顔が浮かんでしまう。無意識のうちに曲というものに人という要素がプラスされてしまうのだ。
まったくのゼロの状態で曲を聞けたという経験ができた。そんな意味でもこの曲は私にとってかけがえのないものになっている。
そして明日、私はまたユウスケさんに会う。
エイターになった私はもしかしたらまた新たな音楽体験がライブで出来るのかもしれない。
そう思うとワクワクして、今日は寝れそうにない。
友よという声が大阪に咲いた夜
「人生って最高だろ?」
関ジャニ∞の新曲がオンエアされて数週間が経過した。熱い夏が終わりを告げた途端、彼らは人生を文字通り全力疾走。信じられない速さと熱量で駆け抜けている。
ついにスタートの号令が鳴った47都道府県ツアー。
少しずつ輪郭が露わになる新曲「友よ」。
年末の音楽特番や紅白の出演決定。
師走に追いつかれる前にフルスピードをかましてしまうあたりがとてもエイトらしいなぁ、と思ってしまう。
そして新しく発売される新生関ジャニ∞の楽曲、「友よ」。
イントロもなく、無音の中「なぁ友よ」と語りかけるヤスくんの声が印象的な1曲だ。この曲は勢いがすごい。ソロからそれぞれのハモリやユニゾンが連なり、5人の声が重なる瞬間「どや!」と言わんばかりの笑顔の声が広がっていく。
色々あった9月から自分の気持ちはどこか浮いていることもあり、実は初めて聞いた時(ドラマのED)は苦い取っ付きにくさの存在を否めなかった。それは彼らが歌う「人生って最高だろ」の表情が見えなかったからかもしれない。いちファンの余計な想いだと重々承知の上で、少し休んでもええんよ?って思ってしまったのだ。
Mステを見るまでは。
初めてTVオンエア(生放送)だったMステ。この曲を歌うエイトの顔は感情むき出しだった。ただストレートに楽しい訳でもない。明るい訳でもない。でも僕らはここに立っている。そう叫んでいるように感じたのだった。
そこから「友よ」は聞けば聞くほど胸が熱くなり、何かが自分の中で蓄積されていくのを感じた。
なんだろう。
感動なんていうチープな単語じゃ到底追いつけない感情だ。
その後放送されたベストヒット歌謡祭はUSJのクリスマスイベントの特大セットから生放送という素敵な演出も相まって、思わず家のテレビ画面に顔を寄せてしまった。
1曲目はお茶の間でもおなじみの「無責任ヒーロー」。彼らを好きになる前から私の中ではエイトといえばコレ!という1曲だ。底抜けに明るくて、元気が出る。
ただ今回はなんとなく空気が違った。
「全力前進」
まさに今のエイトのようだった。
2番からはUSJのキャラクターたちが登場。エイトとじゃれたり、手を繋いだり、肩を組んだり。このわちゃわちゃした時に見せる笑顔を見て、ああこんな彼らを見たかったんだと画面前で思ったのだった。
そして気づいた。
そうだ、全力前進した先にはこんな楽しさがあるんだ、と。9月からなんだか忘れかけていたことを画面越しに見せられた気がした。
そして2曲目は「友よ」
その直前、城ホールにいた宮根さんからヤスくんに向けて今だからメンバーに伝えたいことは?という質問が投げかけられた。
そのときのヤスくんの言葉に胸をぐっと掴まれた。色々あった。グループにも自分にも。それでも彼らがいたからやって来れたし、彼らがいるからこれからも見れる。
ヤスくんが後ろにいるメンバーを振り返りながら綴った感謝の言葉の後に聞く「友よ」はMステのそれとはまったく別物だった。
間奏から曲のクライマックス。
彼らの魂の声に花を添えたのが見事な花火だった。彼らを表すような、色鮮やかで賑やかで、そして元気になれる花火だった。そこに咲いたのは彼らの覚悟だったのかもしれない。気づけば最初に感じたしこりのようなつっかえは跡形もなく消えていた。
「君が見る時代に惜しみない愛を」
エイトが歌う君はエイターのことだと思う。
彼らの覚悟という愛をエイターは受け取ったのではないだろうか。
「人生って最高だろ?」
「だからやめられないんだろう」
続ける覚悟を決めた男達の強さを感じた。
大好きな彼らを曲を通して「友よ」と呼べるのであれば、エイターとしてこんな幸せなことはないかもしれない。
フルで聴けるまであと少し。
それまでは私は何度も大阪に咲いた関ジャニ∞の声をリピートするのだろう。
ああ、人生って最高だ。
そして私は彼に2度目の初恋をした
それは2度目の初恋だった。
テレビを前に私の心はスタッカートのように跳ね上がった。転調の音の跳ねと私の心は連動しているようだった。それまである程度の距離を空けて向かい合っていたところ、グッと彼の胸元に引き寄せられたような感覚だった。急に温かさに襲われて体温が上昇する。
抱きしめられると
I feel so good
この歌詞のまんまだった。
丸ちゃんの歌声に抱きしめられた。
それもふわりと抱きしめる感じではない。
ガッと力強く抱きしめられた感じだった。
10月20日の夜、関ジャムを見ていた私は画面越しの丸山隆平に2度目の初恋をしたのだった。
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前にも書いたが私は筋金入りの声優追っかけだ。どんな人もまずは声から入ってしまう。それが芸能人であっても身近な彼氏であっても。丸ちゃんや関ジャニ∞のみんなにハマるきっかけもまさにそれだった。関ジャムのセッションで出会った彼らの歌声の良さに鼓膜が反応してしまい、みるみるうちに彼らに魅了されてしまったのだった。
その中でも丸ちゃんの声がお気に入りだ。
ボーカルのときの丸ちゃんの声はとにかく優しい。人の体温を音で感じることが出来るのだと思う。名は体を表すというが、本当にその通りだと思う。
「丸」ちゃんの声は「丸」い。
心地よくてその声の温かさの中にずっとたゆたっていたいと思ってしまう。
これまでのセッションでもその温かさに触れていた。中でも「星になれたら」や「Rain」、「夏の終わりのハーモニー」の伸びやかな歌声は一度聞いたら忘れられない。
そしてこの回の関ジャムのセッション。
楽曲は宇多田ヒカルさんのデビュー曲、【Automatic】だった。
大倉くんのドラムが音を発した瞬間。
普段より重めの前髪で顔が影で見えなくなった瞬間。
スタジオの真ん中に立っていたのは丸ちゃんではなく、色気漂う丸山隆平だった。
その表情は宇多田ヒカルさんが持つ、どこかミステリアスな空気を纏っていて、今目の前にいる人は本当に丸ちゃんなのだろうかとすら感じてしまった。
関ジャムのセッションの醍醐味、特に丸ちゃんとヤスくんのセッションの時に思うのだけれど、カバーしている楽曲において、歌い手の感情が憑依したように音に乗るところだと思う。歌っているのは関ジャニ∞。でもそれだけではない。そこには作った人の思いと同時にしっかりと歌っている人たちの生々しい感情が乗っかっている。
だからこれはただのカバーではなくセッションなのだと思う。楽器のセッションなのではなく、オリジナルを歌った人(実際セッションに参加している場合もいない場合も)と関ジャニの感情のセッションなのだ。
歌詞に合わせて自然と自身を抱きしめる仕草は見ていて、ほのかなエロティシズムを感じだ。どんどん伸びてゆく丸ちゃんの声に私もつい溢れる感情を止められなくなってしまった。
「ああ、私この人の歌声が好きだなぁ」
その瞬間ふと思い出したフレーズがあった。
数ヶ月前のananの色気について語る関ジャニの対談コーナーで、彼は撮影(この時は写真だったけど)における撮る撮られることを「ベッド・インしているようなもの」というなかなか印象深い言葉を残した。
ベッド・イン、素っ裸である、つまりは素であること。
もしかしたらこの時私が感じたドキドキは丸山隆平というアイドルの素を見せつけられたからなのかもしれない。
色々なところですでに話が出ているがとにかく転調した瞬間がこのセッションのピークだと思う。
ついに歌詞という言葉から解き放たれて音楽の中で自由に羽ばたく様子は見ていて息を飲んでしまった。
放送からすでに数日経過しているが、毎日見ている。この初恋に似た感覚にまた出会いたくて、この感情を追いかけるように見ている。
2度目の初恋はなかなか忘れることは出来なさそうだ。
「続く」 という言葉にかけるファンの想い
続く
to be continued
最近「続けること」について色々考えていたので今日はそんな話をポロポロとしたい。
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17年近く世間一般的にニッチと分類される男性声優を追いかけてきた私はどんなコンテンツが登場しても、ついその最後を意識してしまう。これはいわば一種の癖のようなもので、今でも神谷さんや吉野さんの新曲発表があっても、いつも最後かもしれないという気持ちで発売日を迎えている。期待していない訳では無い。ただ瞬く間に消えてゆくコンテンツを目の当たりにしすぎたのか…そういう思考回路ができあがってしまっている。Kiramuneなんてその最たるもので、本当に2009年の1回きりだと思っていたし、10周年というのは当時の私にとっては夢のまた夢どころか思いつきすらしなかった。物事に終わりが来るのは至極当たり前。それがメジャーでないのであればなおさらだ。
最初に続いていく当たり前が崩れたのはCONNECTの活動休止だった。5周年が見えてきた矢先だった。さすがの私も続くことに安心感を抱き始めた頃だったから頭を殴られたような衝撃があった。それでも彼らが活動休止前、最後に出したアルバム【ニンゲン!ジェッター人間!!】のCDを取り出した時震えた。
そこにははっきりとこう書かれていた。
to be continued
続く、と。
その数年後だった、神谷さんが今度はハレプロジェクトの5枚目【ハレゴウ】を出した。CONNECTが活動休止に入った頃、1人とてつもないものを背負っていたのをファンミーティングなど参加していて感じた。それこそ私は最後を覚悟していた部分があった。
ハレゴウのPVはその軽快な音楽にマッチしたコミカルな時代劇風な仕上がりになっている。旅する侍に扮した神谷さんの道中をのぞくような作品だ。そのラストシーンが私はとても好きだ。目の前に広がる青空と原っぱ。台地を踏み締める侍、神谷さんの背中からパンアップして空に浮かんだのは筆で書かれたこの2文字。
続く
続くという言葉がファンに与えてくれる安心感は絶大だ。それは次への約束に他ならないからだと思う。先の楽しみを約束してくれるから前を見れる。前を見る楽しみがある。
そういえば関ジャニ∞の十五祭のラスト、スクリーンに浮かんだ文字もこれだった。
15→16
to be continued
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ここ最近、スカパラ30周年を祝って彼らは音楽番組によく出演されている。ラジオ【大倉くんと高橋くん】に谷中さんが出演されて以来、私はあの素敵なおじさまたちが気になって出演されている番組を見ている。その中で1番印象に残ったのは不慮の事故で変化せざるを得なかった時の残ったメンバーの心境だった。
続けなきゃいけない、今そのまま走らないといけない。
強い人達が続けることはもしかしたら変化することを意味するのかもしれないとテレビを見ながら私は感じてしまった。
続くということは尊いこと。
そんなことを強く感じるタイミングが今年はなんと多いことか。
だからこそ私は許される限り応援している人達と共に「続く」約束のために前を向きたいと思う。
【旅ログ】島根(9.7→10) その1
少し前の話。
9月の初めに私は島根一人旅に出た。
旅立つきっかけをくれたのは吉野さん。松江で開催される茶風林さん主催の小泉八雲の朗読会に出ると聞き、悩まず島根行きを決めた。
いざ決めたら話は早い。そういう意味では迷いなき30代、トオコ。通訳案内士の勉強で得た島根知識をフル活用。松江に行くついでに足立美術館にもいけるし、念願の出雲での縁結びもできることに瞬時に気づいた。
もしかしたらこの旅、とても有意義な時間に出来るかもしれない。
これは上手く言葉に出来ないのだけど、なんとなく行くなら今しかないという気持ちが強かった。大袈裟かな?でもそういう直感って大事にすべきだと私は思っている。
そこには明確な理由が自分にあった。
私は1人になりたかったのだ。
この世で私の居場所は誰も知らない。
私だけが私の場所がわかる。
それくらい本当の意味で一人っきりになりたかった。
そうすることで、もしかしたら今の自分の足元を踏みしめて大地を感じることができるのではないかと思ったのだ。
早朝羽田に着いた私には迷いなんて微塵もなかった。
気持ちは飛行機の窓から見える青空のように澄んでいた。
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2019年9月6日 (晴)
米子~足立美術館~
早朝のANA便で早速私の旅テンションがアガる出来事があった。なんと後ろが仲良しサポーター友達だった。
それぞれ島根での行先が別れていたものの、米子までは一緒。こういう出会いもまた嬉しい。
米子といえばゲゲゲの鬼太郎。電車も鬼太郎推し(笑)
朝ののどかな田舎をガタゴト電車に揺られていざ、米子へ。
いつも東京で会ってるサポーター仲間なのに旅の途中でこうやって話しているとなんだかいつもより濃密でゆったりとした時間を過ごしている気分になるから旅とは不思議なものやね。
友達二人は特急やくもに乗り込み出雲へ向かい、私はこの旅の大きな目的5つのうちの1つ、足立美術館へ。
ただし。
早朝始発便で空腹〜ということでインスタで見つけたフルーツが美味しい喫茶店へ!!
米子の朝ごはん
目的地は米子駅から15分ほど歩いて市民図書館の横にある喫茶店フルーツハタノさん。本当は開店まで10分あったのに、お店の方のご好意で入れて下さり、感謝。近くの岡山は晴れの国と言うけれどこの日の米子も負けないピーカン晴れ!!とても暑くて体力も奪われていたので助かった。
お腹を体に優しい糖分で満たして、いざ足立美術館!!!
と意気込んで米子駅に向かったものの、時刻表を調べなかった私は失敗。なんと次の電車まで50分。山手線の便利さに慣れてしまったため身についてしまった無計画さを反省。とはいえ私も旅慣れたもので、この時間を使って名物白バラ牛乳とパンを購入。
駅のベンチに座ってこんなゆっくりするの、いつぶりだろう。
安来まで1駅(といってもそこそこ距離はある)揺られて駅からシャトルバスに乗り込んで足立美術館へ。
足立美術館はずっと行きたいと願っていた美術感だった。大学2回生の時に小堀遠州の庭園を研究テーマにしていた頃から気になっていた。どんな空間なのだろう?こんな雄大な庭、行ってみたいに決まってる!!
そして実際この光景が目の前に広がって立ち止まってしまった。
青空にその下に広がる山々。吹き抜ける風が優しくてまるで絵画の中を生きているような気分になった。
もちろん展覧会もじっくり楽しんできた。今回は横山大観メインの展示。私のお気に入りは竹内栖鳳のコレクション。獅子をはじめ動物を描いた作品はとても素敵だった。
もっとゆっくりしたい気持ちだったが、実はこの日の酒林堂の公演に入る予定だったので私はここから松江に向かって移動開始。
酒林堂さんの朗読会のお話はまた別の記事にして、その日の夜のお話。
朗読会後はずっと飲みに行きたいねと言っていた友達と松江の駅で落ち合って老舗のバー山小舍へ。
既に22時を過ぎていたのでこの日はゆったりおしゃべりしながらお酒を酌み交わしていました。
気分もとても良くなり、カウンターでバーテンさんを交えて楽しく深夜までいい時間を過ごしました。
私が頂いたのは旬のフルーツ、シャインマスカットのフルーツカクテル。
友達が山陽の出身ということで色んな地元のお話を聞かせてもらっていたら、いちじくの話題に。実はいちじくが大好きな私。それを聞いていたバーテンさんがサービスで熟した美味しいいちじくを出してくれて…こういう出会いや交流があるからカウンターバーが大好き。
ホテルまでの帰りは思っていた以上に暗くて怖かったけれど、橋の上で夜空を仰いだら星がとても美しくて友達と感動。
星って綺麗だねー。
なぁんて酔っ払い2人でキャッキャした松江の夜。
朝から盛りだくさんだったけれど、一つ一つ自分の好きなものにじっくり触れて大切にできた1日だった。
ハッシュタグに込められていたのは最高で最強の愛でした。
9月30日が来た。
私なんてたった半年前に関ジャニ∞に惚れ込んでしまった超が付いちゃうくらいの初心者エイターだから、人によってはお前に何がわかるんだ、って思われるかもしれない。
でも私は出会ってしまったのだ。
彼らの音楽に。
彼らに。
そしてその真ん中に立っていた錦戸亮というアイドルに。
ファンになるというのは本当に人生を変えることなのだと感じている。過去の作品や番組、音楽を遡り、エイター友達に勧められたものを見まくって語り合ったり。アイドルとは自身が輝いてる存在だとは思っていたけれど、しがないいちファンの毎日をこんなにも照らすから、本当に凄い。
たった半年。
その間に彼らはテレビや雑誌の向こうにいる「知っている」存在から「応援する」存在へとなったのだ。
だからやっぱり私なりに感じる寂しさは確かにある。
関ジャニ∞を少しずつ知っていく中で1番の印象が変わったのが亮ちゃんだった。それまで私が知っていたのはドラマや映画の中に登場する役者さんとしての一面。クールでカッコイイ。さらにオールスター感謝祭やVS嵐で番組や作品を背負って出る時にその器用な振る舞いと頭の回転の良さを感じるコメントに惹かれたのを覚えている。
関ジャニ∞の錦戸亮のイメージは実はすごく薄かった。私もハマる前は世間一般のイメージと変わらず関ジャニ∞といえば「とにかく元気な曲でワイワイ騒ぐでー」っていう印象だった。だからその中での亮ちゃんってどこか浮いている印象が強かった。それはイメージに合わないとかあぶれている、というのではなく彼らの中の「アイドルとしての光」が亮ちゃんだったのだと思う。
ただライブのMC集や特典でメンバーといる時の姿はアイドルでも役者でもなく、等身大の錦戸亮だった気がする。1番のお気に入りはいきなりドッジだ。吠えたり、おねだりしたり、ビビったり。見ていくうちにこんなにも感情を真っ直ぐに出せる人なんだと思えてきて、愛おしさが増した。
とにかく笑顔と笑いが多いエイトの番組。あのみんなの笑顔を見ていたら他に言葉はいらないと思う。
最高の笑顔なんだもの。
十五祭は本当に楽しかった。
ああ、これが体験したくて仕方がなかったエイトのライブなんだって思ったら涙が溢れそうになった。その真ん中でギターを担いで歌っていたのは亮ちゃんだった。
次の夢を見つけちゃった亮ちゃん。
それを作り上げたのはこの15年の時間の中でキラキラの笑顔でペンライトを振っていたファンたちなんだと思う。だから今はどんな感情が渦巻いていても私は同じエイターとしてそのことは誇っていいと思う。
それは東京ドームが8色に輝く空間だったのだから。
目の前にはエイターが。
横にはエイトたちが。
そしてきっと胸にはあの2人が。
「みんなが」ちゃんと居るんだと私は9月3日に思ったのだ。
これを書きながらある言葉を思い出した。脱退退所のニュースが流れた時、とある番組でファンの方が言っていた。
「応援することはファンにしかできないことだから」
私は半年前に出会ってしまった。
いいな、好きやな、って思ってしまった。
それはどうしようもなくホンモノの気持ち。
だから今亮ちゃんに言葉を贈るなら
「君に幸あれ」
だろうな。
と、ここまで気丈な文字を並べているが最初に書いた通り寂しいものは寂しい。
だから今日くらいはこの寂しさを少しずつ飲み込みながらエイターたちの最高で最強の愛に溢れたハッシュタグを追いかける。
#錦戸亮
そう、片手にはバナナジュースを握りながら。