お気に入りを壁から外した
なんとなく。
なんとなく最近肩こりが酷くなってきた気がして。
なんとなく。
なんとなく足に枷をつけてしまった気がして。
だから。
だから私は壁に貼っていたお気に入りの写真を外すことにしてみた。
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自分は感情の起伏を含め、あらゆる事をコントロール出来ていると思っていた。昔からネットが大好きで、小さい頃からお喋りマシーンだったこともあり、自分の性格とSNSの相性は抜群だった。スルースキル、、、と言うよりただ単に他人に左右されないから言葉で傷つくことはないし、自分でも(アカン)と脳内がアラートを出したものについては触れないという鉄壁のファイヤーウォールを作れるようになっていた。
だったらこの肩こりはなんなんやろ?
その時目に入ったのは自室に大切に飾り続けていた写真だった。
そして、それを外してみた。
なぜか気持ちが楽になった。
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飾っていたのはキラフェス2014のパンフのメンバーのモノクロ写真4枚だった。
元々スタイリッシュにオタクをしたいという考えの私は目につくところに写真やグッズを置くことはあまりない。ただこのモノクロ写真のかっこよさと全員が集まったレイアウトが最高で、飾る用(飾るために切り刻む用)に後日中古で追加購入し、額装した。
私の過去10年間で、私が知らないKiramuneはないと言いきれるくらい私の青春はKiramuneだ。
彼らの音楽、彼らのエンターテインメント、彼らの声と笑顔にどれだけ自分の私生活の疲れや痛みを癒してもらえたか。壁に並ぶ笑顔たちを見ると元気になれるし、私はまだまだやってやれると思えるのだ。
じゃあ彼らに飽きたのか?もう推しから卒業なのか?と聞かれるとまったくもってそうではない。
10周年の記念ライブを終え、改めて感じたのは私の青春はまだ続きそうだという真っ直ぐな想いだ。
ただ一つだけ変化があるのだとしたら、その姿が見えなくとも今の私は大丈夫になったのだ、ということなのかもしれない。
仕事や人生、キャリアについて悩みまくりの三十代半ばを時速140キロで走る私に昨年やっと一筋の道の輪郭が見えてきた。だからそれに向けて頑張りたい。少し昔の私なら、頑張るために推しの姿を見たい、それがなきゃやってやれない!なぁんて思っただろうに。今はそれがなくても大丈夫だと言いきれる。これは年齢によるものなのか何なのか分からない。でも気づいたのだ。
自分の肩こりの原因は自分の踏ん切りの悪さだったこと。
そして不自由さの原因は自分にあったことを。
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友達やまわりにはトオコ変わったなとか思われるのかもしれない。
先日見知らぬ人のつぶやきで見た言葉があまりにもピッタリでついメモしてしまった。
「人生が変わるほど追いかけてもいいですか」
私の人生は変わる。
5年後子供がいるかもしれない。
来年どこか別の国にいるかもしれない。
でもどんなに変わっても応援し続けます!という不変の愛こそが全て、という枠にはとらわれたくない。
高校の頃からずっと好きだった推しはどんなに変わってもその時々の愛を受け止めてくれた(まぁ、これもファンの一方的な想いやけどね)から、この先もきっとそうなのだと思う。
もう一度。
人生が変わるほど
追いかけていいですか?
壁をみながらそう小さく呟いたら自然と笑顔になった。
明日からの推し活が楽しみだ。
ラジオメールを書くということ
終わりというものは突然やってくる、なぁんていう小説の一文のような文字を通勤中のスマホで打ちながら私は今、寂しさという波を押し退けようとしている。
来月大好きなラジオ番組が1つ終わってしまう。
私の推し、吉野さんはしきりに「始まりがあれば終わりがある。終わりがあるからまた始まる。」というがやはり寂しいものは寂しい。私はいちリスナーでありファンだから、今は両足をジタバタさせて身を捩りながらイヤイヤ!と駄々を捏ねたい。
「終わらないでよ!」と。
さて、3月いっぱいで終止符を打つラブナイツとの思い出にひたるのは最終回直前まで大切に取っておこうと思う。
今日は私が書きたいのはラジオメールについて。
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私はラジオメールデビューは中学の時だった。
誕生日に買ってもらったブルーのパナソニックのMDラジカセコンポは受験勉強のお供だった。(ちなみにこの愛機は今でも現役で動いている)
聞いていたのはオールナイトニッポンとラジオ大阪の声優Vステやラジオ関西。初採用はたしか他愛もない楽曲リクエストだった。当時流行りのポルノグラフティさんの「アゲハ蝶」だった。自分の名前をパーソナリティが読み上げ、大好きな曲がアナログ電波から流れてくるの幸福感は今でも忘れない。
笑えるネタメールを投稿し始めたのは鈴村さんと岩田さんのスイートイグニッション。当時住んでいた関西に来てイベントをしてくれた貴重な番組で、よく冬の陣のときは弁天町のブースまで観覧に行っていた。パーソナリティの顔がわかるからこそ、こう読んでくれるかな?伝わるかな?ニヤッとしてくれてら私の勝ち!とかいろんなことを考えながらメールを書くのが楽しかった。
私はけしてハガキ/メール職人という部類では無い。そんな1週間にネタを何十通も送らないし、採用率は高くはない(打率はいいほうだと思ってるけど)。なんせ私自身に、なんとしても読んで欲しい!という思いが薄いのだ。ただ私の日常で気づいたことがあったら伝えたいと思う番組があるから書く。たったそれだけ。
つまり、ラジオメールを書くということは私にとってお腹がすいたから食べるというのとまったく同じライン上での行為なのだと思う。
ラジオメールを書くようになってからとにかく日々の出来事が楽しい。彼氏との別れ際の後悔の懺悔も楽しかった甘い出来事も、駅の階段で転けたこと、インフルエンザになったこと、その日食べたおいしかったもの…すべてがラジオメールになった。そしてより沢山の事に気づくようになった。
私にとってラジオメールとは生きがいや趣味とかそんな大それた名目に分類するモノではないのだ。
ラジオメールこそが日常なのだ。
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さて最初に話したラブナイツという中堅男性声優による地上波帯番組が終わる。
放送期間はわずか1年半。
ただ同時に濃密な1年半だった。
なぜならこの1年半、私毎週最低一通はメールを送っていたからだ。
風邪をひいても、海外にいても、どんなにくだらないネタであっても書くこと&送ることを止めなかった。無意識に送り続けていた。
それが今終わりが来ると意識しながらラジオメールを書こうとしている。
いくらラジオメールが日常となってもお別れについて触れる内容は日常になってほしくないものだ。
これから私は筆替わりに指をスマホのスクリーンの上で右に左に滑らせる。
私はラジオメールを書くということをやめられない。
起きて半畳寝て一畳。きっと彼はこの先も赤い絨毯で旅するんだ。 ―RYO NISHIKIDO NOMAD LVに参加して思ったこと
12月19日。平日の夜。
会社に1時間の早退申請をしていた私は同僚たちの「お疲れー」の声を背に受けて日比谷の映画館に向かっていた。
電車に乗っている間、ずっと心臓が煩かった。ドンドン鳴りすぎて肋骨が若干痛いくらいだ。
私の向かう先。それは錦戸亮のソロライブのライブビューイングだった。
「起きて半畳寝て一畳天下とっても二合半」という言葉がある。NOMADを体験したあとの私の頭をふと過った言葉だ。きらびやかなセットもなんもない。自分の固い意思で新たに歩み始めた錦戸亮というアーティストはアコギ1本とステージにひかれた赤い絨毯1枚ですべて事足りるのだと、たったそれだけで満ち足りているのだとスクリーン越しにステージを見て感じた。ジャーン!!と力強くギターをかき鳴らす姿を見て、この人は自分自身を正解にしようとしているようだと感じた。そしてそれは自分の選択に揺るぎない信念があるのだと見せつけられた瞬間でもあった。
少し話は逸れるが、私は調べ物が多い仕事の性質上、語るならなんでも自分の目と耳で体験したいという思いが強い。実は当初、亮ちゃんのライブには参加するつもりはなかった。彼の選択を応援する気持ちはあれど、私が大切にしたいのは関ジャ二∞のほうだったからだ。私の役目は見送ることだと10月1日に立ち上げたレーベルを見て思った。「亮ちゃん頑張れ。心からエールを送るよ」と。
その後配信でリリースされた楽曲で気になったものを聞きながら、私はやっぱり亮ちゃんのメロディアスな音楽が好きやねんなぁ~と思った。時折その声の先に関ジャ二∞の残像を感じようとしたりした。亮ちゃんが作った関ジャ二∞の曲と交互にプレイヤーでかけながら彼のことを考える時間が少し増えていった。
なんでこんなことをしていたのだろうと思うと私には一つだけ不安があったのだと思う。
「知らない亮ちゃんになっていたらどうしよう」
潔い亮ちゃんのことだから。
これまでの時間や思い出たちに大事にラベルなんてつけちゃってしまっちゃっていたら私は寂しくなって泣くのかな?
だって亮ちゃん律儀になんでも綺麗にラベリングするやん?
そんな不安な思いの先を自分で知りたくなって、ライブビューイングに申し込んだのだった。
そして。
ライブは楽しかった。
終わったあと、地元のエイターの友達に伝えた言葉がすべてだったと今でも思う。
「ライブビューイング参加してよかった。」
最初の涙の波が来たのが関ジャ二∞時代に書いたソロ曲《スケアクロウ》だった。私は新米eighterなのでもちろんこの曲は生で聴いたことがない。メロディは知っていたけれど歌詞まで覚えることはなかった。ただこの日耳に届いた歌詞は今の亮ちゃんのことを歌うようだった。
「僕は此処にいるだろう」
「それでも此処にいるだろう」
この言葉はずっと共に走った亮ちゃんのファンたちにはどう届いたのだろう。そんなことに思いを馳せると胸がぎゅっとなる。私でさえ、ああ亮ちゃんは亮ちゃんだ、と安心したのだから。
【NOMAD】の曲で好きな《罰ゲーム》《ヤキモチ》は新たな亮ちゃんらしい楽曲。ちょっとした強引さや自分勝手さが出てきちゃう亮ちゃんの恋愛ソングは人間臭さがあるからこそ、私は好きなのだと思う。
MCで《ヤキモチ》は一緒にカラオケに行った時に彼女(気になってる女の子)に歌って欲しいって照れながらもストレートにいっちゃうあたりが愛おしい。
前々からこの曲を歌うよ、と風の噂で聞いていて、聞きたいような、聞きたくないような…そんな複雑な気持ちで聞いたのが《Tokyoholic》だった。つい数ヶ月前に十五祭で聞いたばかりの《Tokyoholic》。真骨頂のバンドサウンドが最高にかっこよくて、目をつぶると東京ドームの風景が浮かぶ。この曲は亮ちゃんが関ジャ二∞として演奏するために作ったものだと勝手に思い込んで信じていたからこそ、なんとも言えない気持ちになった。
実際の演奏と声を聞くまでは。
《Tokyoholic》を歌っていた時の亮ちゃんの表情がずっと脳みそにこびりついていて忘れられないのだ。
NOMADのバンドメンバーが最高の音を鳴らす。
上手い。
ただ私の耳には何かが違うという思いが大きくなる。やっぱり嬉しそうに亮ちゃんを見てドラムを叩く大倉くん、ベースソロでは口元をハムっとさせてリズムを刻むマルちゃんがいない…音楽知識ゼロの私でも、届く音でわかる。このバンドにはそういう今まで感じていた揺るぎない「何か」が足りない。(当たり前っちゃ当たり前なのだけれど)亮ちゃんが後ろを振り向いた先に今までいた彼らがいないこと、それを楽器の音だけになった瞬間強く認識してしまい寂しくなってしまったのだった。
ただ変わらないものもある。
声は変わらない。
あの時からまっすぐ思いを届ける錦戸亮というシンガーの強い歌声。
これはファンの好き勝手な妄想だと言われてもいい。ただギターを弾きながら口元を少しだけ上げて笑う感じは、曲への愛とともに、15年間歩んできた時間、そして隣にいた人達への愛を感じたのだ。
亮ちゃんは嘘をつけない人だ。
好きな物は好き。
シンプルでありたい。
そう。
この夜の《Tokyoholic》はシンプルだった。
愛が溢れていて。
そして孤独で。
シンプルだった。
一つだけ気づいたことがある。
それはライブ中、彼はあの赤い絨毯から飛び出すことはなかったのだ。
アーティスト錦戸亮はきっとギターを片手に鞄にあの絨毯を持って次の場所に行くのだと思う。その背中はとてもかっこよかった。
ああ、亮ちゃんは亮ちゃんだ。
そう思えたことが嬉しかった。
私はこの先、そんな彼についていくかはまだ決めかねている。
ただ届いた声に私の心が動いたのであれば、私はその直感を信じて、彼を見失わずにいたいと思う。
私はまだ、彼の声を知らない ―渋谷すばる ライブツアー二歳直前の今思うこと
私はまだ、彼―渋谷すばる―の声を知らない。
私がエイターになったときはすでに6人の関ジャニ∞が始動していた。ちょうど《Crystal》が出た頃だった。ハマるやいなや、新米エイターの私は関ジャニ∞の曲を追いかけながら、渋谷すばるという圧倒的な歌手の残り香をクンクン嗅いでいた。そして先輩エイターのみんなが最高で最強だったと口を揃える「あの頃の彼ら」に思いを馳せていた。
私が彼の声に特に惚れ込んだのは初めて購入したライブDVD《Jukebox》で披露した【宙に行ったライオン】だった。
遠くへ
遠くへ
何度も繰り返されるのこのワードはただの歌詞ではなかった。言葉に乗った想いは火傷してしまいそうなくらい熱かった。
そんな彼の声に再び惹かれたのが2019年末に開催されたレディオクレイジーというフェスでのサプライズ出演だった。実は主催のラジオ局が粋なことをして下さり、後日ライブパートだけ放送してくれたのだった。
すばるくんが歌ったのはイエモンの《バラ色の日々》
聞いた瞬間涙が出た。
このときの私の涙は往年のすばる担の待ち焦がれていたソレとは違うのだと思う。
やっと会えた、とか会いたかった、という想いではなく、ただただ声に圧倒されたのだった。
渋谷すばるの声は果てしない。
どこまでも伸びて飛んでいき、そして触れたものにしっかりと足跡を残すのだ。
そう気づいた次の瞬間私はプレイガイドを通して二歳の幕張公演のチケットを購入していた。
今聴かないと。
今の彼を聴かないと。
私はまだ、彼の声を知らない。
彼の声を知るまであと数時間。
渋谷すばるの歌に出会えた瞬間、私はいったいどんな想いを抱くのか、とても楽しみである。
色んな感情の根本にあるのは、たぶん「投影感」の有無なんだと思う
タイトルに書きたいことをすべて要約してしまった。
久々に声優という自分のライフワークのようなものについて語るのに、こんな長ったらしいタイトルを付けてしまった。なんだか恥ずかしい。
さて、ここから先を読む人にわかって欲しいのは私は全肯定型のファンではないということだ。私には私の感想がある。好みがある。そして苦手なものがある。
それを踏まえてここから読み進めるなり、途中でやめるなり自由にして欲しいと思っている。
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昨年クリスマスに発売された神谷浩史さんのミニアルバム《CUE》のMVを見た私の感想はこのタイトル通り。
ああ、私が神谷さんの歌に無意識のうちに求めてしまってきたのは投影感なんだろうな、と確信した瞬間だった。
神谷さんの新しいミニアルバムは所属レーベルKiramuneのメンバーたちの楽曲をロック調にアレンジした《ハレロク》以来のカバー作品集だった。Kiramuneはレーベル設立時からファンだし、知らない曲はないくらい私はKiramune所属のメンバー全員が大好きだ。それぞれのソロライブも欠かさず参加していたし、ここの歴史で自分が知らないものはないのではないかと思う。ここまでくると人によっては古参ゆえの面倒臭さい愛のように感じるだろう(否定はできない)。
神谷さんのカバー企画はずっと願っていたものだったし、今回の《Cue》ではもう1人応援している吉野裕行さんの歌をカバーすると知っていたので期待は大きく膨らんだ。
発売日はクリスマス。
届いたCDのパッケージ。
選びに選び抜いた特典のブロマイドの笑顔が眩しい。
クリスマスにプレゼントを貰うことも少なくなってしまったので、封入メッセージカードの「メリークリスマス」の文字にワクワクした。まるで神谷さん=私のサンタさんだ。緩む口元をだらしなくにゃぁーっとさせながらデッキに円盤をセットした。
そして。
MVを見て心が無になった。
見終えた私の中に残ったのは怒りでも、苛立ちでも、不快感でもない。そんな感情の起伏はまったくない。
ただ静かに水平に走る線のように「無」。
元々私は感情の波に乗ることはない。その勢いに任せて呟くこともあまりない。真っ先に思考を支配するのは、なんでこんな感情になったんだろうという分析なのだ。これはもう癖のようなもの。
なので今回もこの「無」はどこから来るのか考えてみた。
① Glorious Timeの歌詞の変更
今回MV(リード曲)になったのは《ハレヨン》で神谷さんが新たな扉を開いたと言われている代表曲のひとつ【Glorious Time】のセルフカバーだった。
イントロからピアノの旋律がとても軽やかで美しいこの曲。人気の理由のひとつは歌詞を通して神谷さんがこれまで(発売のタイミングでは5周年)の歌活動について語っているようなところだと思う。歌活動を通して得たものが、神谷さんにとって大切なものだとはじめてストレートに伝えてくれた気がした。私自身、この曲を聴きながら歌活動5年目にして伝えてくれたこのメッセージに心を踊らせたのを覚えている。
ただ今回、その歌詞が変更された。
ラストのコーラス
Now or never
Precious moment
Keep on smiling
Glorious Time
ライブの中でこの部分をみんなで歌うのが大好きだ。
ただ今回はこうなっていた。
Now or never
Always here for you
We'll keep on smiling
Glorious Time
自分は英語の通訳翻訳家という点から言葉について話すのであれば、そもそも音と英語の語呂がハマらない気がしている。
さらに気になった点:新しくなった歌詞の「We」は誰を指しているのだろう?
私はこう考えてた。
このアルバムは神谷さんの10周年を記念するもの。もしかしたらこの「We」は今、神谷さんの横にいるKiramuneのメンバーたちのことなのかもしれない、そう私は感じたのだった。だとしたらなんて暖かい曲なのだろう。
そんな温かさに包まれたのも束の間。
そのイメージをMVが打ち砕いたのだった。
② エキストラ参加型というMVの作り
この作品の大きなポイントとも言えるのがKiramuneのファンクラブでエキストラ参加を募集したことだ。これは大きな賛否を呼んでいるし、その理由は私にも理解出来る。ファンという同じラインに立っているはずの者同士が「参加できた人」「参加できなかった人」に別れるのだ。同じ感情でいることの方が私は難しいと思うし、このエキストラという試みのリスクでもあると思う。
まずはじめに明言する。
私はこれに参加出来ていない。
ただ見た後に残った感情が嫉妬心かと言えばそれも違う気がする。先程も書いたように「無」になったのだ。いつもなら神谷さんが可愛いだの、あの仕草が最高だの、ひとしきり騒いでいるのに。今回はそれがなかった。
特筆すべきことがない。
何故ならばその画面の作りとして、今回のGlorious Timeから突きつけられたのは「そこに私は含まれていない」という寂しさに満ちた疎外感だったからだ。
疎外感の原因はいくつかある。
①で話した歌詞の変更もそのひとつだ。これまで神谷さんからファンへというメッセージが、急に変わった。そこへの戸惑いは正直、ある。そして言葉だけなら聞き流せていたものが、MVという強烈な視覚情報として入ってきたからこの気持ちに拍車をかけたのだと思う。
MVのつくりにも要因があるような気がする。
③ MVの構成
このMVでは《ハレヨン》を彷彿させる真っ白なスタジオに白い衣装を着た神谷さんがそこにいるだけというシンプルさを極めたものだ。たしか川谷監督はこれを「浩史100%」と言っていた。
イントロから《ハレヨン》のときと重なるようなポージングで優しく微笑む姿。冬に発売という事でやわらいニットセーターを着ていた。その次のカット。画面に写ったのは学校の合唱コンクールのときのようにズラリと並んだエキストラとその真ん中で歌う神谷さんの姿だった。
急に何も意識せず音源の中で聞いていたコーラス部分が「神谷さんを応援するファンのみんな」のもの、というよりも「たった今画面の中にいる人達のとの」という印象が強烈に残った。
投影感とは画面の中にどれだけ自分の気持ちをのっけることが出来るかという意味で私は使っている。神谷さんの気持ちにのっかるわけではないので、共感ではない。あくまで気持ちの真ん中にいるのは自分なので「投影感」と呼んでいる。
話を戻そう。
その後は追い打ちをかけるように、5人程度のグループショットが間奏パートでパパっと流れた。これははっきりと顔を認識できるレベルだった。
ここで私は気持ちをこの曲にのせることは厳しい、すくなくともこのMVでは厳しいと感じた。
突きつけられたような気がしたのだ。
この声は私の声ではないという事を。
そして同時に引っかかっていた「We」は不特定多数の「私たち」ではなく、あの画面の中で完結した「神谷さんと参加した私たち」なのではないかと感じてしまったのだった。
歌が苦手だと語っていた神谷さん。そんな中でもライブを通して伝えたいことができた。それを歌にしたと何度も雑誌で語っていた。
ただセルフカバーverのMVではこの曲で神谷さんは何を伝えたいのか、私は急に分からなくなってしまった。
そして何も感じなくなったのだ。
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画面が作り出すインパクトは想像以上に大きい。
先程書いた通り合唱のシーンだけでなく、個別認識できるカットがあり、「そこにいる人」と「そこにいない人」を見せつけられたため、無意識のうちにボーダーを心が引いてしまっていた。
同じようなエキストラ参加型といえば以前CONNECTや吉野裕行さんがやったことがある。どちらもセッティングがライブ会場の様子だった。もちろんファンの映像もあったがメインにあるのは歌い手であり、楽曲だった。だからこそ私は自分の姿をそこに投影できたようなきがしたのだと思う。この2つのMVは大好きである。
こうやって考えていくうちに自分が求めているものに気づいた。
ほかの人たちはどう思っているのか、気になるところではあるが、こういう話題は私がコントロールできるブログでするのがベストなのかもしれない。
※ここまでだいぶ好き勝手書いたけれどあくまでこれはMVの話。映像無しだと実は何も気にならないんです。
忘れられない音楽体験 〜関ジャニ∞/YOU CAN SEE
2020年のライブ初めが明日に迫ってきた。
年末に購入したまっさらなスケジュールに1番に書いたのは佐伯ユウスケさんのワンマンライブ【ウラオモテンション2】。
少しずつライブに向けて準備をしながらチケットを見て、口元が緩ませる。お風呂入りながら、ラジオ聞きながらネイルしよう、当日は誕生日にもらった可愛いリップ塗ろう、なぁんて考えていることに気づいた瞬間、自分がこのライブをいかに楽しみにしていたか気づいて、一人暮らしの部屋の中で「ふふふ」と笑ってしまった。
「佐伯ユウスケ ウラオモテンション2」
いつもより少し丁寧に予定を書き込みながら、ふとあることを思い出した。そしてすぐさま自分のスマホのメモを探り始めた。
―あった。
それはちゃんと律儀にタイトルまでつけて保存してあった。(こういう時メモ魔な自分の性格を褒めたくなる)
メモにはこう書かれていた。
「佐伯ユウスケ ウラオモテンションカバー曲」
西野カナ/君って
☆村上&丸山(関ジャニ)?/YOU CAN SEE?
柿原徹也/咲いちゃいな
入野自由/ I am I
吉野裕行/さよなら
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ファーストワンマンライブ、ウラオモテンションが開催されたのは2018年5月。
村上くんと丸ちゃんの名前や楽曲タイトルの横に自信のなさの象徴であるハテナが書かれているのを今見ると笑いが漏れてしまう。
本当に。
2018年の私は2019年にFCに入っている私なんて想像出来なかった。
私がeighterになったのは2019年の2月だった。
つまりこれは私が関ジャニの音楽に本格的に触れるずっと前のもの。(メモなので呼び捨てになっている点は許してほしい) しかもスマホにメモするということは、その曲を相当気に入ったのだろう。メモの横にしっかりと目立つように☆マークを付けていた。この記事を書きながら思い出したが、佐伯ユウスケさんのライブのセトリを作る時【You Can See】だけ音源がどうにもこうにも手に入らなかったのだった。
だから私の中でこの曲は幻の曲となったのだった。
いつかまた出会えるかな?
また聞きたいな。
関ジャニ∞のライブとか見たらいいのかな?
そんなことを考えながらこの曲に思いを馳せていた。
幻とはいえ、【You Can See】を聞いたときに体に走った感動の震えはよく覚えている。
メジャーシーンのアーティストからアニソンや声優まで、幅広い表現者たちに楽曲を提供してきた佐伯ユウスケさん。自身で生み出した提供楽曲を披露するこのコーナーではステージにピアノと佐伯ユウスケさんだけ。彼はピアノ1本でほかのアーティストに託した曲を愛おしそうに歌い上げていた。そして私はその真っ直ぐな旋律に聴き入ってしまっていたのだ。
音に対して言葉数が少し多めのユウスケさんの歌詞。それはコロコロと自然と口の中を転がるようで、一つ一つの音がとても心地良かった。
―きっともう空のあの人に泣きそうです
―今では楽勝です
―現在に勝てたらはじかれそうです
このですます調になる部分はどこかよそよそしさがあり、胸がキュッとなる。そしてその印象は強く鼓膜の中でリフレインしてしまう。
しかもユウスケさんのワンマンでは楽器はピアノのみ。ジャズっぽいくぐもったようなツヤっぽい大人な雰囲気が素敵だった。
そして2020年1月。私はあと少しでeighter1周年を迎えようとしている。
気づけばただ「知っている」だけだったエイトは今では「応援する」人になったのだ。
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【You Can See】との再会はeighterになってすぐに訪れた。友達が貸してくれたPuzzleのライブDVDのユニットコーナーでイントロが流れた瞬間鳥肌が立った。脳みそが恋焦がれた相手(音楽)との再会を喜んで祝福のベルを鳴らしていた。「私!これ!知ってるよ!!!」そう声にならない思いが身体中を駆け巡った。
スポットライトを浴びた村上くんと丸ちゃん。今思うとちょっと背伸びしてたのかな?って微笑んでしまいそうなシックな装いだった。その表情は少し緊張しているようにも見えた。あの頃のスタンドマイクとのなんとも言えない距離感が愛おしいステージだった。
この曲の魅力は英語と日本語の歌詞が入り交じっているところだと思う。歌詞の音、そして素敵な声を持つ2人の声帯にのせたらどうきこえるのか。ソングライターの佐伯ユウスケさんは実はそこまで考えたのではないか?と思ってしまうくらいバシッと村上くんと丸ちゃんの声帯にハマるメロディを生み出している。クリエイターのユウスケさんはこの二人のこういった声のトーンまで意識した歌詞を書いたのではないか。
そしてこの喜びの再会を果たした瞬間もうひとつのことに私は気づいたのだった。
このユウスケさんのライブで【You Can See】を聞いていたときは私の意識に関ジャニ∞という存在は影も形もなかった。顔が浮かぶこともなかった。そりゃそうだ。あの頃私が知ってた関ジャニ∞は【ズッコケ男道】のような紅白やカウコンで見るテイストのものだった。まさかこんなジャズっぽい大人の空気を持つ曲を歌うだなんて思いもしなかった。
ユウスケさんの声は雑味のない真っ直ぐな声を持つ。パキッと気持ちいい明るさと暗さのバランスが絶妙なのだ。そんなユウスケさんの【You Can See】はドライでサバサバしていた。そしてその分、歌詞がとても良く耳に届く。だからこそこの曲に私は惹かれたのかもしれない。
そして再会して、自分がエイトの中でも好みの歌声を持つ丸ちゃんの声で聞いた時、この曲が完成されたような気がした。
なかなかクリエイターがカバーする場面というものに出くわすチャンスはない。しかも知らないうちにそのアーティストにハマって楽曲と再会するなんて、どれくらいの確率だろう。
これほ本当にとても素敵で忘れられない音楽体験だった。
そして振り返って私はこう思う。これはこの上なく純な状態で曲に出会えたってことなのかもしれない、と。そしてこんな出会いはかなりラッキーなんじゃないか、と。
今この曲を聞いたらどうしたって大好きな丸ちゃんのことがリンクして脳裏にあの笑顔が浮かんでしまう。無意識のうちに曲というものに人という要素がプラスされてしまうのだ。
まったくのゼロの状態で曲を聞けたという経験ができた。そんな意味でもこの曲は私にとってかけがえのないものになっている。
そして明日、私はまたユウスケさんに会う。
エイターになった私はもしかしたらまた新たな音楽体験がライブで出来るのかもしれない。
そう思うとワクワクして、今日は寝れそうにない。
友よという声が大阪に咲いた夜
「人生って最高だろ?」
関ジャニ∞の新曲がオンエアされて数週間が経過した。熱い夏が終わりを告げた途端、彼らは人生を文字通り全力疾走。信じられない速さと熱量で駆け抜けている。
ついにスタートの号令が鳴った47都道府県ツアー。
少しずつ輪郭が露わになる新曲「友よ」。
年末の音楽特番や紅白の出演決定。
師走に追いつかれる前にフルスピードをかましてしまうあたりがとてもエイトらしいなぁ、と思ってしまう。
そして新しく発売される新生関ジャニ∞の楽曲、「友よ」。
イントロもなく、無音の中「なぁ友よ」と語りかけるヤスくんの声が印象的な1曲だ。この曲は勢いがすごい。ソロからそれぞれのハモリやユニゾンが連なり、5人の声が重なる瞬間「どや!」と言わんばかりの笑顔の声が広がっていく。
色々あった9月から自分の気持ちはどこか浮いていることもあり、実は初めて聞いた時(ドラマのED)は苦い取っ付きにくさの存在を否めなかった。それは彼らが歌う「人生って最高だろ」の表情が見えなかったからかもしれない。いちファンの余計な想いだと重々承知の上で、少し休んでもええんよ?って思ってしまったのだ。
Mステを見るまでは。
初めてTVオンエア(生放送)だったMステ。この曲を歌うエイトの顔は感情むき出しだった。ただストレートに楽しい訳でもない。明るい訳でもない。でも僕らはここに立っている。そう叫んでいるように感じたのだった。
そこから「友よ」は聞けば聞くほど胸が熱くなり、何かが自分の中で蓄積されていくのを感じた。
なんだろう。
感動なんていうチープな単語じゃ到底追いつけない感情だ。
その後放送されたベストヒット歌謡祭はUSJのクリスマスイベントの特大セットから生放送という素敵な演出も相まって、思わず家のテレビ画面に顔を寄せてしまった。
1曲目はお茶の間でもおなじみの「無責任ヒーロー」。彼らを好きになる前から私の中ではエイトといえばコレ!という1曲だ。底抜けに明るくて、元気が出る。
ただ今回はなんとなく空気が違った。
「全力前進」
まさに今のエイトのようだった。
2番からはUSJのキャラクターたちが登場。エイトとじゃれたり、手を繋いだり、肩を組んだり。このわちゃわちゃした時に見せる笑顔を見て、ああこんな彼らを見たかったんだと画面前で思ったのだった。
そして気づいた。
そうだ、全力前進した先にはこんな楽しさがあるんだ、と。9月からなんだか忘れかけていたことを画面越しに見せられた気がした。
そして2曲目は「友よ」
その直前、城ホールにいた宮根さんからヤスくんに向けて今だからメンバーに伝えたいことは?という質問が投げかけられた。
そのときのヤスくんの言葉に胸をぐっと掴まれた。色々あった。グループにも自分にも。それでも彼らがいたからやって来れたし、彼らがいるからこれからも見れる。
ヤスくんが後ろにいるメンバーを振り返りながら綴った感謝の言葉の後に聞く「友よ」はMステのそれとはまったく別物だった。
間奏から曲のクライマックス。
彼らの魂の声に花を添えたのが見事な花火だった。彼らを表すような、色鮮やかで賑やかで、そして元気になれる花火だった。そこに咲いたのは彼らの覚悟だったのかもしれない。気づけば最初に感じたしこりのようなつっかえは跡形もなく消えていた。
「君が見る時代に惜しみない愛を」
エイトが歌う君はエイターのことだと思う。
彼らの覚悟という愛をエイターは受け取ったのではないだろうか。
「人生って最高だろ?」
「だからやめられないんだろう」
続ける覚悟を決めた男達の強さを感じた。
大好きな彼らを曲を通して「友よ」と呼べるのであれば、エイターとしてこんな幸せなことはないかもしれない。
フルで聴けるまであと少し。
それまでは私は何度も大阪に咲いた関ジャニ∞の声をリピートするのだろう。
ああ、人生って最高だ。