carpe diem

エイトと声優と音楽とお酒とアート。時々ドーナツ。

ハッシュタグに込められていたのは最高で最強の愛でした。

9月30日が来た。

 

私なんてたった半年前に関ジャニ∞に惚れ込んでしまった超が付いちゃうくらいの初心者エイターだから、人によってはお前に何がわかるんだ、って思われるかもしれない。

 

でも私は出会ってしまったのだ。

 

彼らの音楽に。

 

彼らに。

 

そしてその真ん中に立っていた錦戸亮というアイドルに。

 

 

ファンになるというのは本当に人生を変えることなのだと感じている。過去の作品や番組、音楽を遡り、エイター友達に勧められたものを見まくって語り合ったり。アイドルとは自身が輝いてる存在だとは思っていたけれど、しがないいちファンの毎日をこんなにも照らすから、本当に凄い。

 

 

たった半年。

 

その間に彼らはテレビや雑誌の向こうにいる「知っている」存在から「応援する」存在へとなったのだ。

 

 

だからやっぱり私なりに感じる寂しさは確かにある。

 

 

 

関ジャニ∞を少しずつ知っていく中で1番の印象が変わったのが亮ちゃんだった。それまで私が知っていたのはドラマや映画の中に登場する役者さんとしての一面。クールでカッコイイ。さらにオールスター感謝祭VS嵐で番組や作品を背負って出る時にその器用な振る舞いと頭の回転の良さを感じるコメントに惹かれたのを覚えている。

 

関ジャニ∞錦戸亮のイメージは実はすごく薄かった。私もハマる前は世間一般のイメージと変わらず関ジャニ∞といえば「とにかく元気な曲でワイワイ騒ぐでー」っていう印象だった。だからその中での亮ちゃんってどこか浮いている印象が強かった。それはイメージに合わないとかあぶれている、というのではなく彼らの中の「アイドルとしての光」が亮ちゃんだったのだと思う。

 

ただライブのMC集や特典でメンバーといる時の姿はアイドルでも役者でもなく、等身大の錦戸亮だった気がする。1番のお気に入りはいきなりドッジだ。吠えたり、おねだりしたり、ビビったり。見ていくうちにこんなにも感情を真っ直ぐに出せる人なんだと思えてきて、愛おしさが増した。

 

とにかく笑顔と笑いが多いエイトの番組。あのみんなの笑顔を見ていたら他に言葉はいらないと思う。

 

最高の笑顔なんだもの。

 

 

十五祭は本当に楽しかった。

ああ、これが体験したくて仕方がなかったエイトのライブなんだって思ったら涙が溢れそうになった。その真ん中でギターを担いで歌っていたのは亮ちゃんだった。

 

次の夢を見つけちゃった亮ちゃん。

それを作り上げたのはこの15年の時間の中でキラキラの笑顔でペンライトを振っていたファンたちなんだと思う。だから今はどんな感情が渦巻いていても私は同じエイターとしてそのことは誇っていいと思う。

 

 

だって関ジャニ∞錦戸亮が最後に見たあの景色。

 

それは東京ドームが8色に輝く空間だったのだから。

 

目の前にはエイターが。

横にはエイトたちが。

そしてきっと胸にはあの2人が。

 

「みんなが」ちゃんと居るんだと私は9月3日に思ったのだ。

 

 

 

これを書きながらある言葉を思い出した。脱退退所のニュースが流れた時、とある番組でファンの方が言っていた。

 

「応援することはファンにしかできないことだから」

 

 

私は半年前に出会ってしまった。

いいな、好きやな、って思ってしまった。

それはどうしようもなくホンモノの気持ち。

 

 

だから今亮ちゃんに言葉を贈るなら

 

「君に幸あれ」

 

だろうな。

 

 

 

と、ここまで気丈な文字を並べているが最初に書いた通り寂しいものは寂しい。

 

 

だから今日くらいはこの寂しさを少しずつ飲み込みながらエイターたちの最高で最強の愛に溢れたハッシュタグを追いかける。

 

 

#錦戸亮

 

 

そう、片手にはバナナジュースを握りながら。