お気に入りを壁から外した
なんとなく。
なんとなく最近肩こりが酷くなってきた気がして。
なんとなく。
なんとなく足に枷をつけてしまった気がして。
だから。
だから私は壁に貼っていたお気に入りの写真を外すことにしてみた。
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自分は感情の起伏を含め、あらゆる事をコントロール出来ていると思っていた。昔からネットが大好きで、小さい頃からお喋りマシーンだったこともあり、自分の性格とSNSの相性は抜群だった。スルースキル、、、と言うよりただ単に他人に左右されないから言葉で傷つくことはないし、自分でも(アカン)と脳内がアラートを出したものについては触れないという鉄壁のファイヤーウォールを作れるようになっていた。
だったらこの肩こりはなんなんやろ?
その時目に入ったのは自室に大切に飾り続けていた写真だった。
そして、それを外してみた。
なぜか気持ちが楽になった。
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飾っていたのはキラフェス2014のパンフのメンバーのモノクロ写真4枚だった。
元々スタイリッシュにオタクをしたいという考えの私は目につくところに写真やグッズを置くことはあまりない。ただこのモノクロ写真のかっこよさと全員が集まったレイアウトが最高で、飾る用(飾るために切り刻む用)に後日中古で追加購入し、額装した。
私の過去10年間で、私が知らないKiramuneはないと言いきれるくらい私の青春はKiramuneだ。
彼らの音楽、彼らのエンターテインメント、彼らの声と笑顔にどれだけ自分の私生活の疲れや痛みを癒してもらえたか。壁に並ぶ笑顔たちを見ると元気になれるし、私はまだまだやってやれると思えるのだ。
じゃあ彼らに飽きたのか?もう推しから卒業なのか?と聞かれるとまったくもってそうではない。
10周年の記念ライブを終え、改めて感じたのは私の青春はまだ続きそうだという真っ直ぐな想いだ。
ただ一つだけ変化があるのだとしたら、その姿が見えなくとも今の私は大丈夫になったのだ、ということなのかもしれない。
仕事や人生、キャリアについて悩みまくりの三十代半ばを時速140キロで走る私に昨年やっと一筋の道の輪郭が見えてきた。だからそれに向けて頑張りたい。少し昔の私なら、頑張るために推しの姿を見たい、それがなきゃやってやれない!なぁんて思っただろうに。今はそれがなくても大丈夫だと言いきれる。これは年齢によるものなのか何なのか分からない。でも気づいたのだ。
自分の肩こりの原因は自分の踏ん切りの悪さだったこと。
そして不自由さの原因は自分にあったことを。
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友達やまわりにはトオコ変わったなとか思われるのかもしれない。
先日見知らぬ人のつぶやきで見た言葉があまりにもピッタリでついメモしてしまった。
「人生が変わるほど追いかけてもいいですか」
私の人生は変わる。
5年後子供がいるかもしれない。
来年どこか別の国にいるかもしれない。
でもどんなに変わっても応援し続けます!という不変の愛こそが全て、という枠にはとらわれたくない。
高校の頃からずっと好きだった推しはどんなに変わってもその時々の愛を受け止めてくれた(まぁ、これもファンの一方的な想いやけどね)から、この先もきっとそうなのだと思う。
もう一度。
人生が変わるほど
追いかけていいですか?
壁をみながらそう小さく呟いたら自然と笑顔になった。
明日からの推し活が楽しみだ。