carpe diem

エイトと声優と音楽とお酒とアート。時々ドーナツ。

3月の最終週のワタシ

3月の最終週なんて大嫌いだ。

 

「始まりがあれば終わりがある」なんて言うけれど、それはつまり私の大好きな番組が終わる悲しみに暮れているのと同時に来週から始まる新たな番組を喜んでいる人がいるという事じゃないか。

 

(なんやねん、もう)

 

 

そう言った瞬間、自分のグチがいかに滑稽か秒で気づくのだ。

 

私だってラブナイツが始まる時喜んだじゃないか。その裏ではユニゾンジェネレーションのリスナーは落ち込んだだろうに。もっと言うなら平日深夜1時というラジオのゴールデンタイムを男性声優が帯で乗っ取ったと知った往年のラジオフリークたちは怒ったかもしれない。

 

この改編期を越える度に、ラジオ好きの悲しいジレンマに頭を抱える。本当に…ラジオを好きになってしまったが最後。

 

3月の最終週の滑稽な喜怒哀楽サイクルの繰り返しだ。カラカラとケージの音を立てながらどこにも進まない車輪の中で走るハムスターと同じだ。

 

この車輪を何年間私は全力で走っているのだろう。

 

12歳でオールナイトニッポンを初めて聞いたあの頃の私のままでいられたらいいのに。

 

 

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あと数時間でラブナイツ火曜日のラストがきてしまう。

 

すごく正直なことを言うと前に吉野さんが担当していた「YFC」や「ギリギリアウト」や「超ラジ」と比べると、今回の番組はのめり込み度は低かったように思う。

 

古き昭和のアナログラジオの愛好家だからだろうか。アプリ連動は視覚的に賑やかで楽しい時もあれば、音に集中したい自分の感覚を鈍らせるような気もした。途中目にするファン同士のマイナスな言葉も目に対して最後にはiPadの下半分を厚紙で隠すというワザを覚えた。ハロプロに興味の薄い自分はついていけない話題の時も多々あった。

 

すごく正直なことを言うなら終わりは予感していた。今まで何年も一緒に聞いていたラジオ仲間が聞かなくなったり、方向性にハテナが浮かび始めたあたりから、祈る想いで10月と3月を迎えていた。

 

 

前に書いたようにラジオは私にとってエンタメではなく日常だ。だからきっとこのテンポが私の深夜の波長のズレる日があったという、ただそれだけのことなのかもしれない。

 

ただ面白いことにいざ終わるとなると毎週、1年半送り続けてきたメールの内容を振り返ってしまったり、寂しさが込み上げてきた。

 

YFCで約束したことを果たしたと報告したのも、伝えたかったライブの感謝も、私の日常に笑ってくれたことも、ラジオだった。この番組に関していうのなら、恐らくラジオの構成とかそういうのはどうでもよかったのかもしれない(あんな偉そうに文句言ってたけど…)。その先に声があるということが大事だったのだ。

 

 

ラジオは特別だ。

 

ラジオの向こうの人と繋がれる。

繋がりを実感できる。

 

この1年半はそんな火曜深夜が楽しかった。

 

 

さて。

しっかり見届けようか。

 

 

 

あ。

でもかしこまるのはきっと吉野さんは好まないね。家事とかラジオはながら聞きでいいって言ってたもん。