carpe diem

エイトと声優と音楽とお酒とアート。時々ドーナツ。

声優イベントに蔓延する笑いの危うさを考える―今だからこそ私はしっかりと言葉にしたい

ここ数週間私の思考回路はぐちゃぐちゃだ。

 

自宅のテレビから流れてくるのは私の第2の故郷アメリカでの悲惨と怒りに満ちたニュースばかりだ。自分も黄色人種というマイノリティとしてアメリカにいたからだろうか。酷い差別経験とは幸せなことに無縁だったけれど、今回のデモやBlack Lives Matterの動きを他人事とは思えなかった。活動家のスピーチを聞いて泣いたり、ニュースをくまなく読んだり、現地の友達と長電話で話し込んだり。なんとか自分の感情や人種差別問題についてどう表現したいか、自分なりにまとまった時、ふと思ったことがあったのでここに書き残そうと思う。

 

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私は昨今の声優イベントにおいて蔓延している笑いの方向性に危うさを感じることが増えたような気がした。

 

ここで言う笑いは「弄り」によって湧き起こそうという笑いだ。

 

 

もうここからはハッキリと書いてしまおうと思う。ここは私のブログだから。私は浪川さんに対する弄りに対して心底危うさを感じているのだ。

 

浪川さんといえば春夏秋冬関係なくその色黒さを弄られることが多い。元々日焼けしやすい体質なのだろう。夏になるにつれてそこを先輩後輩関係なく弄られることが増えるような気がする。たしかに久々に夏のライブで浪川さんに会うと「お休みで海に行ったんかな?」と思うくらい変わっていることがある。(浪川さんってそんなことする時間なんてないくらい忙しいのにね)。それに対して「また焼けたんですかぁー」という軽いものであればフリートークのネタとしての日焼けはアリだと思う。

 

しかし色黒ネタが限度を超えるとそれは差別的なものになってしまうことに気づいている人はどれくらいいるのだろうか。疑問である。

 

具体的に私が酷い嫌悪感を抱いてしまったイベントがある。

 

浪川さんが所属しているレーベルKiramune内で組んでいるユニットUncle Bombのイベント【2 Channel】だ。

 

このイベントは約年に一度、ユニットのアルバム発売に合わせて開催されている。2020年現在まで5回やっていて、どれも内容(コンセプト)はまったく異なる。2 Channelはアルバムが二面性を意味する【Two Sides】だから内容も白黒ハッキリさせようというクイズなどを盛り込んだものだった。

 

このコンセプトそのものは全く悪くない。なんならゲームそのものは楽しかった。問題はここで使用したアイテムだった。様々な疑問の白黒を観客に判断つけてもらうということで、入場時に配られたのは1枚の厚紙だった。

 

片面は白を基調にした相方吉野さんの顔イラスト。

 

そしてもう片面は黒を基調にした浪川さんの顔イラスト。

 

このイラストを見た瞬間、言葉にできない気持ち悪さが走った。問題はこのイラストのデザインなんだと思う。それぞれ白黒を基調にしているといっても、顔の色を白と黒にしていたのだ。それぞれの顔の周り(背景色とか)を白黒にすればいいものを、顔そのものの色を白か黒にしていた。黒塗りされた浪川さんの顔イラストを見た時、頭をよぎったのはブラックフェイスだった。

 

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ブラックフェイスとは黒人に対してこの上ない侮辱的表現である。日本では数年前の某笑ってはいけない特番であるお笑い芸人が顔を黒塗りしてモノマネをした事で物議を醸した。

 

 

では顔を黒塗りすることの問題点は何なのだろうか?

 

それはアメリカの歴史でミンストレル・ショーというものが発端である。ミンストレル・ショーとは黒人や原住民族(白人が力で征服した人種)を見世物にしたり、彼らのモノマネをしてバカにするようなショーのことである。(ちなみに似たようなショーで黄色人種も笑いの弄りの対象になったことがあるから他人事ではない。)その時、白人の演者がとった表現の手段は彼らの肌の色を真似るためにペイントを施したのである。以来、顔を黒塗りすることは黒人をバカにする差別的行為と見なされるのである。

 

過去に日本ではシャネルズが顔を黒塗りしてパフォーマンスをしていた。彼らの本格的R&Bを聞けば黒人文化や彼らの音楽に敬意を持っていたことはわかる。でも黒塗りはだからといって許される行為ではないのだ。敬意とかそういう気持ちのレベルの話ではない。歴史上人間が起こしてしまった過ちとそれを思い起こさせるような行為は何があろうと繰り返してはいけない。ブラックフェイスとは絶対にやってはいけないことなのだ。

 

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話を戻そう。

 

あのイベントで配られたのは厚紙に描かれたあの浪川さんのイラストは私にはブラックフェイスにしか見えなかった。

 

こういった弄りが起きた原因はなにかというと浪川さんの色黒弄りが度を過ぎたことだと思う。100歩譲って本人とその仲間たちの「わかったうえ」での笑いと弄りならまだいい。(私はそれですら嫌悪感を抱いてしまう時もあるのだが…)

 

ただここでの問題はあの厚紙はイベント運営(公式)が配布したものということだわ

 

私はそこに大きな疑問を抱いている。

 

 

 

黒塗りのことなど知らなかったという意見は理解できる。私も分からないことに対して責任を問うことはしたくない。

 

でもあの度を越したデザインを見て何も思わなかったのだろうか?と思ってしまう。

 

そして私はここからはイベントを作る側、出演する側、そして参加する側も真剣に考える必要があると思う。

 

イベントなど人前でやる笑いについて。

これからの笑いはどういう方向に持っていくべきか。

 

 

私自身、恥ずかしながらこういったことを感じるようになったのはおそらく1年に開催されるイベントの本数が桁違いに増えたからだと思っている。イベントで色黒の話題が上がる度におこる笑いに危うさが募ったのだ。

 

私が懸念しているのは弄りによる「危うさ」に触れる機会が増えれば増えるほど人はその感覚が麻痺していくことだ。

 

「ああ、またやってるね」

「なんだいつものこと」

 

この流れにのってはいけない。

 

ましてや世界の動きを考えると、これは危ういでは済まされないのだ。

 

 

私は声優さんが大好きだし、彼らの仲良しトークはイベントに参加した時に聞けるご褒美的なものだと思っている。

 

だからこそこういう笑いや弄りについての認識のアップデートについて考えるフェーズにもう入っているのではないだろうか。

 

最後に何度も名前を出してしまっているけれど浪川さんは何一つ悪くないと思っている。私は浪川さんの面白さはそういう弄りなんかなくても充分あると思うし、それを引き出して欲しい。

 

 

珍しく真面目に語ってしまったのは私の大好きなUncle Bombの現場でこういうことを目の当たりにしたからだ。自分のことにならないと動けなかったこと、そして世界の流れがこうなってやっと考えをまとめるという己の遅さが情けない。

 

 

でも考えることを止めてはいけない。

そう思いながら今日はここでいったん切り上げようと思う。