窮鼠と私の1週間
「一瞬で恋に落ちた。」
今ケ瀬を演じる成田凌さんの静かな一言で始まる映画の予告。
「大伴先輩」
ちょっと躊躇いつつも嬉しさを隠せない今ケ瀬の声。それは半年前の予告解禁の時から強い印象を残した。そしてそれは窮鼠という物語に再会できるという懐かしい気持ちからくる私の中のソワソワを掻き立てた。夏生の「久しぶり!」というセリフはまさに自分の気持ちそのものだった。
10年以上前に窮鼠に出会い、BLCDで涙し、本棚の中でもとっておきの1冊として大切にしてきた作品だった。あれから年月は過ぎ、私は運命的な何かに惹かれて関ジャニ∞のファン、eighterになった。
そこに舞い込んだ窮鼠実写映画化の特報。
恭一役に大倉さんが抜擢されたと知り、その意外なキャスティングに驚いた。そして同時にまた新しい恭一の一面に出会えるのではないかと嬉しくなった。相手の成田凌さんは気になる存在感のある役者さん。予告の時から抱きしめてしまいたくなる、繊細な可愛さが印象的だった。
窮鼠はチーズの夢を見るはカテゴライズするなら私は「日常」だと思う。
ボーイズラブという世間一般的な分類(作中の表現的にも執筆依頼時の内容的にもそうなる)はあるものの、この作品が他と違うのはBL作品にありがちな非日常性/フィクション性がまったくないからだ。
大きな事件なんて起きない。
出てくる人達は普通に生きている。
ご飯を食べ、愛し合い、嫉妬して、仕事して、不安になって、泣いて、笑う。
ただただ好きな人に好きと伝えること、好きな人を信じること、そんなありきたりなことに1人で悩み苦しみ、そしてささやかな幸せを感じている人達のお話なのだ。
主人公が男同士ということ自体が捉え方によってはフィクション性をはらむのにも関わらず、水城せとな先生が恋する人達の感情の揺れをときにフラットな視点で、そしてときに情熱的に描いているから、私の中では恭一と今ケ瀬の「日常」の作品だとカテゴライズしている。
私は公開翌日の舞台挨拶LV回から1週間、仕事の合間をぬいながら3回鑑賞した。
この作品には恐ろしいまでの中毒性がある。
BGMを極限まで削ぎ落とした作品のスタイルだからだろうか。
頭の中に恭一と今ケ瀬の言葉が鮮明に刻まれ、映画館を離れたあともずっと聞こえてくるようだった。
恭一の感情が動いた瞬間の視線、
今ケ瀬が自信を失ってしまったときの声、
ワルイコトをするときの共犯者的な快楽。
何度も自分の頭が勝手に作品を繰り返していることに気づいた。
いつもなら「この場面はああだ」「ここはこういった意図だろう」なんてテクニカルなことを中心に完全記憶装置になりがちなのだが、窮鼠は違う。
何度も何かを確認したいという気持ちではない。
私は何度も作品を見た時の自分の中に沸き起こる感情を追体験したくて劇場に通っている。
この作品はたくさんの見方があって面白い。実際、2回目は今ケ瀬の気持ちが強く自分の中に流れ込んできたのに、3回目は恭一の気持ちに乗ってしまっていたことにビンタされる場面で気づいた。
こんなにも考えさせられてしまうのは大倉さんと成田さんの見事な演技力が大きな要因だと思う。彼らの視線の動き、口元がヒクッとこわばる動き、息遣い、言葉の間や会話のテンポ。それは原作とは違う要素はあれど、正真正銘、大伴恭一と今ケ瀬渉なのだ。
ひとまず1週間を振り返りながら書きなぐってしまったこの記事。
またつらつらと無駄に書いてしまうような気がする。
でもそれくらい時間をかけて何度も向き合いたくなる名作なのだ。
窮鼠はチーズの夢をみる。
この1週間、夢を見ていたのは間違いなく私だったような気がする。