carpe diem

エイトと声優と音楽とお酒とアート。時々ドーナツ。

さぁ、はじめよう。「ない」から「ある」は絶対に作れるから ―吉野裕行

ついこの前、私は久々に平日休みを取って出かけた。自称呑み鉄の私。電車に乗りたい気分に駆られた。この時期なので色々考えて、地元駅を通るグリーン車付きの路線で2時間の所にした。ちょっとした買い食い、外食、そしてフォトジェニックな場所での写真撮影。何もかもが久しぶりだった。

 

それは広がる太平洋を背に手を広げて写真を撮ってもらった時だった。スマホのシャッターをタップする係のお姉さんの掛け声とともに私は笑っていた。

 

マスクの下で。

 

見えないのに。

 

誰も、自分すら見ることはないのに。

 

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11日の夜11時11分、吉野さんが予告通りYouTubeチャンネルを立ち上げ、MV動画をアップしてくれた。

 

 

数日前に予告的に上げてくれた動画ではMVをスマホで撮影してみたというシンプルな内容だけが伝えられた。(ちなみにどういう経緯でこよ企画が持ち上がったのかは私は良くわかっていなかったりする…)情報解禁時はなんとなくこの曲かなーと吉野さんの口調から予想してはいたものの、更新日に動画の三角マークをクリックした瞬間はドキドキした。

 

 

そしてそれと呼応するかのように鼓膜に響いたのは自分の高鳴る心拍のような軽快なドラムだった。

 

指先まで毛細血管がザワっと反応したのを感じた。私は知っている。この音楽を、声を、そして何よりもこの曲がたまらなく好きであるということを。私の細胞までが大好きな吉野さんの曲と再会できた喜びに悲鳴をあげているようだった。

 

MVに選ばれたのは吉野さんのミニアルバム【CYCLE】に収録されている「はじまりのうた」だった。本人のパキっとした性格を表すようなわかりやすいタイトルのこの曲はライブのOPナンバーとしてド定番の曲だ。

 

イントロのドラム。そこから加わるギター、ベース。少年の声を担当することが多い吉野さんの十八番といってもいい、明るい弾ける声がこの楽器たちの音をまとめるのがサビ前でわかる。そして気持ちが乗ってきた最高潮のタイミングで気持ちにアクセルをかけるように入ってくるブラス隊は爽快だ。

 

 

この楽曲はとにかく気持ちいい。

その大きな理由は吉野さんとサポーターたち(吉野ファンの誇らしい愛称)の熱のこもったコーレスだ。

 

「さぁ!」

 

「はじめよう!」

 

 

リズムと声に合わせて笑顔でスタートを切れるこの楽曲は、この半年間私が「ない」と思っていたものたちによる呪縛から解き放ってくれたような気がする。

 

 

半年間失ったものはあまりにも大きい。

 

 

楽しみにしていたライブがない

 

ワクワクするお出かけの予定がない

 

大好きな人、家族に会えない

 

今までの当たり前がもうそこにはない

 

 

あるのは漠然とした不安と仕方がないという、自分を納得させるための言葉だった。マスク生活を余儀なくされ、笑った顔を見ることがなった。本当はすごく息苦しいけど、自分やまわりを恐怖から守るためだから仕方がない。

 

 

この吉野さんのMVはそんな私の顔から優しくマスクを外してくれたような気がする。

 

MVを1人でも多くの人に見て欲しいから細かいことはここでは書かないでおこうと思う。ただ、冒頭吉野さんがマスクを取った瞬間のあの笑顔が見えた嬉しさが私の胸にしっかり残っている。

 

 

仕方が「ない」と諦めていたことを、

 

私たちの大好きな合言葉である「はじめよう」を通して不安も不満も泣き言も恨みつらみも、マスク無しの呼吸とともにスっと溶けたようだった。

 

 

ないものがたくさんある。

 

けれど「はじめよう」と声に出して顔を上げてみたらきっと「ある」を作れるような気がする。これはそんな気持ちにさせてくれるMVだ。

 

 

 

最後に個人的な小話。

以前ラジオメールで私が「ありえないことを(吉野さんたちのライブで)起こしてくれた」と送ったところ、吉野さんが番組内でこう言っていた。

 

 

「ありえないをありえるにするのがエンターテインメントなんだ」

 

 

 

 

はじまりのうたは吉野さんそのものだ。

 

「ない」から「ある」を作る人だ。