carpe diem

エイトと声優と音楽とお酒とアート。時々ドーナツ。

ハレゾラもクモリゾラも

人生山あり谷ありとはよく言ったものだなぁと思うことが増えた。それは一般的に指す人生しかり。そして30年ちょいのうちの半分を占めてる神谷浩史さんのファンとしての人生しかり。

 

そういう意味ではこの1年半、私は谷にいたような気がする。なんだかいつもどんより曇り空。気分が晴れない。今までと同じように好きなものに触れているのに。

 

その要因は2つのズレにあったように思う。

 

 

1つ目のズレ:新型コロナ

1つ目のズレはもちろん新型コロナによる大きすぎる変化だ。私生活は完全にリモートになった。しかもエンタメ業界に身を置いているので不要不急という名の風当たりも強ければ、個人的な経済的打撃も大きい。すごく性格悪いかもしれないけれど世間の「エンタメは不要不急じゃない」とは訳が違う。エンタメファンの言葉に突っかかってしまい「こっちは生活が直接かかってるんだ、お先真っ暗なんだよ!」と勝手に苛立つくらい自分に余裕がなかった。

 

そしてステイホームの中、自然と考える時間が増えた。

 

結果:自分の中での優先順位が大きく変わった。

 

これは変えようとかそうした物ではなく、気づいたら変わっていた。

 

はじめはアニメやラジオをリアタイしなくてよくなった。そこからのめり込めないものは録画すらしなくなった。時間を割きたいことが趣味じゃなくなった。こうやって色んなことをふるいにかける。いや、それ以上に自分に素直に動くようになったのかもしれない。

 

もちろんこれまでの推し活を無理してやっていたというわけではない。けれど自分が変わってしまうことを受け入れるようになったのは大きな変化だ。

 

今は仕事でやってみたいことが明確になったし、恋愛も復帰してみたい。

 

 

2つ目のズレ:歌

誤解のないように先にこれは言っておく。これから語るズレは私に問題があってKiramune側にはない。

 

Glorious Timeの新録版あたりから神谷さん陣営が手がける楽曲が好きじゃなくなった。シンプルに私が好む音楽の路線とズレてきたのだ。(もしくはズレていったのは私の方って言うのが的確かもしれない)。

 

だからってファンの要望、好みに添う必要はないと思っている。ただこの間、私はちょっとだけこのズレが苦しかった。好きだった時間が長くて、その時間すら認めてあげられなくなるような気がした。

 

今でもキラフェス2019で歌う神谷さんの表情が忘れられない。もがきながらも歌を届けていた人が、やっと1人舞台で歌えるようになり、そしてファンとひとつの空間を作ることができた集大成―それがキラフェス2019だったように思う。そして最後に神谷さんの歌を生で聞いたISO FES。暮れなずむ空に響く声はどこまでも伸びやかで、やっと自由に気持ちよく羽ばたけるようになったんだって思いながらステージを見上げた。

 

あれからコロナがあり、世界が変わり、、、そんな中、時間をかけて進化を遂げた神谷さんの次を楽しみにしていたからこそ、自分の好みでは無いものを立て続けに目の当たりにしてしまいひとりで勝手に燃え尽き症候群になってしまった。

 

勝手に突き放されたって思ってしまったんだと今振り返ると思う。

 

 

曇り空も愛せるように

そんな中、私の曇り空をモーゼの如く切り開いてくれたのが〈more than Zero〉

 

苦しかった時間に与えられた愛情が

新しい学びになった

 

このワンフレーズが「これでいいんだ」って言ってくれるようで楽になった。黒須さんのメロディラインのカッコ良さは少し強めの追い風みたいだったし、只野さんの言葉を届ける神谷さんの声で気付かされた。

 

 

私はこの声が好きなんだ。

 

 

9月19日の神谷浩史ワンマンライブ SUNNY BOXを見届けた今、この1年半の神谷さんの歌が好きになれなかった私も好きになれたように思う。

 

長々と書いてしまったこの文章の最後は最近出会った言葉で締めよう。

 

Don't regret what made you smile.

笑顔をくれたものを後悔しちゃだめだ。

 

 

きっと明日は晴れ。