carpe diem

エイトと声優と音楽とお酒とアート。時々ドーナツ。

夕方4時。ビールを飲む。

松本に着いた。

空はあいにくの雨もよう。

街をぐるりと囲む大きな靄がかった山はどこか神秘的で、都会にいる時ほど雨が嫌じゃない。

心の恵みの雨ってところだろうか。

 

午後になり強くなり始めた雨風をしのぐために駆け込んだのはホテル近くにあったクラフトビールバー。

 

時間はまだ4時すぎ。

そんな時間のせいで店内にいるのは私を含めて3人しかいない。オシャレな洋楽がいい雰囲気を作りあげているのにそれに浸るような恋人たちの姿は見当たらない。ぽつりぽつりと離れて座る店内の3人はお互いの存在を感じつつも、程よい他人の距離感を保とうとしているようだった。もちろん私も。

 

入れたての松本ペールエールを片手に私は窓際のハイチェアーを選ぶ。どの店に入っても私は店内を見渡せる席を好む。ジャーナリング用のノートとペンケース、そしてこの旅で読もうとタイトルで選んだ小川糸の「たそがれビール」を慣れた様子で広げる。

 

「いただきます。」

 

窓の水滴をぼぅっと眺めながらごくりとひとくち。普段飲まないペールエールの軽やかさは今日みたいなどんよりした日に丁度いい。

 

美味しいとつぶやく前に喉があの爽快感を求めてもっと、もっと!とビールを欲していた。あっという間にハーフパイントのコップは半分になった。

 

本の1チャプター読んだあたりで視線をあげるとさっきの2人はまだ席にいた。特に何をするでもなく、ビールを各々楽しんでいるようだった。

 

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この人たちとなら仲良くなれそう、なぁんてひとり考えながら本を読み進めることを断念した。

 

今はこの空間とビールを楽しみたい。

 

これを打っていて気づいたがビールグラスが空っぽだ。

 

 

さて、つぎは何を飲もう?

 

スコッチエール?トラディショナルスタウト?

 

 

こんなにゆったりとビールを楽しめる午後に乾杯。

私は長野へゆく

今でなければいけないのか。

 

この旅に出る前に何度も自分に聞いてみた。

 

今じゃなきゃダメなんだ。

 

今私は彼女に会いたい。

 

今会うことで、停滞の原因となっている自分の中にある何かと対峙できるような気がして。

 

だから私は長野へゆく。

 

20年振りに会う彼女のもとへ。

かもめ食堂は通じることの嬉しさの物語だった

きっかけはツイッターのフォロワさんの呟きだった。自分も大好きな作品についての投稿につい嬉しくなって勢いでリプしてしまった。

 

そして今日、詰め込んでいた仕事の予定が急遽飛んだのでAmazon primeで『かもめ食堂』を見始めてしまった。思いつきだったので数分前までメールを打っていたノートPC横のスマホで見てしまっていた。でもこの手軽さがこの作品らしさなのかもしれない。

 

軽くて、美味しくて、そして何度もそれを味わいに帰ってきたくなる。

 

まるで作中のサチエさんのおにぎりのように。

 

この作品が公開されたのが2006年。何回この映画を見ただろう?しばらくはレンタルショップで都度借りてまで見ていた『かもめ食堂』。数年ぶりに見たら新鮮に映る場面がいくつもあり驚いてしまった。

 

例えば食堂にお客さんがいなかった頃に訪れたおじさんのワンシーン。彼はコーヒーを注文したあと急にサチエさんに向かって「このコーヒーもっと美味しくなる方法がある」と意味深な言葉を投げかるのだ。コピ・ルアックという謎の呪文を唱えながら淹れ方を教えたあと、彼がサチエさんに向かって彼が最後に言い放った台詞が好きだ。

 

「コーヒーは自分で淹れるよりも人に淹れてもらったほうがおいしいんだ。」

 

一つひとつ丁寧に思い出してみると『かもめ食堂』は他人と通じることのささやかな嬉しさに満ちいている作品だった。

 

ガッチャマンの歌をすべて歌えること。

戻らない夫への悲しみ。

折り紙のカエルがぴょんと飛んで楽しいと感じること。

訳あって遠い地へ来たこと。

 

人生を左右する大きなことも、日常の小さなことも、人と通じることは嬉しい。それによって人生すべてが豊かになるわけでも、心が満タンになって満たされるわけでもないけれど、なぜかその一瞬が愛おしい。

 

なによりもこの作品を見ていると食べることは生きることであり、前進することだと思える。

映画公開時のキャッチコピーが素敵だ。

 

ハラゴシラエして歩くのだ

 

歩く先は後ろだって、前だって良い。走ってもいいし、ゆっくりガッチャマンを口ずさみながらでもいい。

 

この映画を見終えたら、おにぎりを食べようと思う。

サチエさんには悪いけど定番の白米とウメ、おかか、シャケではない。

私のハラゴシラエは雑穀米と明太子だ。

 

さぁ、明日も歩こう。

自分宛の手紙をもう一度書くとして - SHE'S <Letter>を聴いた

『10年後の自分へ』

『20歳の自分へ』

 

そんなメルヘンチックなタイトルのついた自分宛の手紙を書いた頃を思い出してみる。はっきり言って、この手の課題が大嫌いだった。だからまったく乗り気じゃなかったこと、適当に鉛筆を走らせていたこと、、、そんなぼんやりした苦い記憶が蘇った。

 

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リモートワーク中にラジオから流れてきたこの曲を聞いた時、思わず仕事する手が止まった。パーソナリティが楽曲紹介をした次の瞬間、私はSpotifyで検索し楽曲をじっくり歌詞とともに聴き始めた。その時に思い出したのが冒頭の自分宛の手紙だった。

 

 

 

SHE'Sは大阪出身の4人組ピアノバンド。メンバーはボーカルとピアノの井上竜馬さん、ベースの廣瀬臣吾さん、ギターの服部栞汰さん、ドラムスの木村雅人さん。Wikipediaによるとこの特徴的なバンド名は実在する同級生の女の子を指すらしく、『独特のオーラを持った「彼女」は何を考えているのか?(SHE IS…)』から由来しているらしい。だからだろうか、彼らが作り出す音楽の中で浮かび上がる女の子は印象深い気がする。

 

まだ彼らについては勉強中だが、今年7月に発売された【Tragicomedy】は名盤だと思う。この秋の私のパワープレイアルバムだ。1曲目のPrologueというタイトルには夜明けを意味するDawnがつけられている。そしてラストは眠りにつく意味でSleepというワードが含まれている。アルバムがひとつの作品として見事に成立しているように思う。良かったら是非(という急な販促)!

 

 

話を<Letter>に戻して。

 

<Letter>のイントロは優しいピアノの音から始まる。シンプルな音が並ぶこのフレーズがラジオから流れてきた時、私の心を掴んだ。こういった音はシグナルのように感じることが多い気がする。これから語られる何かが自分にとって大切なものになるであろう、そんな予兆の音。

 

そしてそこから続く言葉は自分との掛け合いになっている。

 

「おかえりもう1人の僕上手くやれたかい?」

「うんそれなりに。」

 

「想いは手放したし、我慢するのだって慣れてきた。」

 

そこから繋がるサビのメロディは果てしなく優しい。ドラムが刻む心臓音のようなリズムに寄り添う彩のベース、井上さんの高めの声とピアノのメロディラインに息吹を加えるギター。全てが混ざりあった時、彼らの音楽から聞こえるのは「大丈夫やで」という言葉だ。

 

不確かなものに向かって進まなきゃ行けないとき、1番欲しい言葉。でも他人に無責任に軽く言われると嫌気がさす言葉。それが「大丈夫」だと思う。

 

<Letter>が奏でる優しい「大丈夫」がすっと自分の中に溶け込むのはこれは他人からの大丈夫ではないからだ。これは自分宛の<Letter>なのだ。

 

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私は思い出した。なぜ学校で半強制的に欠かされる自分宛の手紙が嫌いだったか。

 

不確かなものに手紙なんて書きたくなかったのだ。書いている内容が叶わなかった未来の自分がこれを読んで方を落とし落単しているのが想像できてしまったからだ。そんな私に誰も大丈夫だなんて言ってくれない、そう思っていた。

 

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この曲の締めくくりで印象的なのはモールス信号のように歌詞から発せられる「探している」というワードだ。

 

探している 知りたくて 探している

 

この手紙の書き手(自分)は一緒に探してくれている。ひとりじゃないから大丈夫。

 

自分のとの会話にほかならないが、優しく肩を抱いてくれるようなこの歌詞に私は計り知れない力を貰っているような気がする。

 

 

このタイトル<Letter>は複数形ではない。交換しあった手紙や何度もやり取りをしているものではなく、特別な一方通行な思いの詰まった手紙なのだ。

 

だからこそ、SHE'Sが奏でる音の言葉に掴まれるのかもしれない。

 

 

これを聞いたあと、自分宛の手紙をもう一度書くとしたら私は前向きに書けそうな気がする。

 

 

 

2020年、音楽との出会い方

音楽との出会い方は色々。

 

 

ラジオから流れてくるパワープレイソング。

テレビの歌番組でのパフォーマンス。

CDショップでのジャケ買い

身近な人達のオススメ曲。

 

同じ曲でも出会い方は人それぞれ。その曲が好きな人の数だけ出会うまでのストーリーがある。そう思うと2020年はさっき挙げたものに新たな出会いをもたらしたと思う。それは新型コロナウイルス。思い返せば私も強いられたステイホームを機に出会えた曲が多かった。

 

 

自分の音楽のルーツはどこなんだろう?って考えると、元々音楽は好きだったけれどファンと名乗るほどのものではなかった。貪欲に聞きにいくようになったのはここ数年かもしれない。

 

小さい頃はアメリカポップスやUKロックで育ち、帰国後もV6やKinKiと並行してB'z、ミスチルスピッツ、ゆず聞いていた。学生時代のカラオケ全盛期では何度もオールナイトでGLAYやら流行りのロックを歌い続けた。けれど新しいものを取り入れることは少なかった。

 

声優オタクとして高校から過ごしてきた私のプレイリストの大半を占めたのは好きなアニメのOPEDや声優が歌うキャラクターソング。声オタ的にはネオロマンスセイント・ビーストといったキャラクターソングが充実していた時代を過ごしたので、ますます私の音楽の世界は鎖国状態になってしまった。さらにこの10年間はKiramuneという声優レーベルのレーベルファンとして過ごしたので、日常は推したちの曲ばかりだった。

 

そんな私の歌との出会い方を大きく変えたものがふたつある。

 

「関ジャム」

Spotify

 

 

関ジャム

関ジャムはここで説明する必要も無いくらい今では多くの人にお馴染みのある音楽番組だ。業界内での評判も良いらしく、ここで起きるできごとはたまに音楽関連のウェブニュースでも取り上げられている。

 

私は今ではeighterとして番組ホストの関ジャニ∞を応援するようになったが、それはここ2年弱の出来事。実はこの番組だけはなんとなく好きで開始当初から見ている。

 

関ジャムでは昔のいい曲から最新の注目アーティストまで色んな切り口でその道のプロやアーティストご本人が解説してくれるだけでなく、関ジャニ∞によるセッションが見どころだ。当時、いち視聴者でしかなかった私が引き込まれたのもこのセッションだった。

 

カバーとは違い、番組独自のアレンジを加えた楽曲をアーティストに寄り添うように丁寧に演奏&歌唱する関ジャニ∞を通して楽曲に興味を持ち始めたのだった。Mrs.Green Appleゲスの極み乙女。岡崎体育などは番組がなかったら自分から手を伸ばさなかったであろうアーティストたちだ。今ではSpotifyのプレイリストに「関ジャム」を作り、セッション曲をバンバン入れている。番組の特集の数だけ好きな曲が増えていっている。

 

 

そんな流れに勢いをつけたのがSpotifyだ。最初は無料版で鬱陶しい広告に耐えながら聞いていた。関ジャムで聞いた曲や今流行りのものをピックアップして聞くには打って付けのアプリだった。

 

音楽を楽しむことを覚え始めた頃にやってきたのがリモートワークという新しい生活様式だった。私は仕事柄読み物や書き物が多い。無音が苦手なのもあり日中はラジオをつけっぱなしにしている。音楽を聴く時間も増えたのでSpotifyも有料契約してみた。

 

そしたらジャンジャン入ってくる新しい曲たちに耳をときめかせる毎日が始まった。お気に入りはThis is 〇〇というアーティストのベスト盤プレイリスト。実はプレイリスト本編の後、サジェストから私が好きそうな曲をピックアップしてくれるあたりの流れが好きだ。

 

そんな流れでわかりやすくハマったのがSHE'Sや大橋トリオ

 

音楽の幅が広がると出会うものも変わる。

そんな変化を私は今、楽しんでいる。

 

 

さぁ、はじめよう。「ない」から「ある」は絶対に作れるから ―吉野裕行

ついこの前、私は久々に平日休みを取って出かけた。自称呑み鉄の私。電車に乗りたい気分に駆られた。この時期なので色々考えて、地元駅を通るグリーン車付きの路線で2時間の所にした。ちょっとした買い食い、外食、そしてフォトジェニックな場所での写真撮影。何もかもが久しぶりだった。

 

それは広がる太平洋を背に手を広げて写真を撮ってもらった時だった。スマホのシャッターをタップする係のお姉さんの掛け声とともに私は笑っていた。

 

マスクの下で。

 

見えないのに。

 

誰も、自分すら見ることはないのに。

 

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11日の夜11時11分、吉野さんが予告通りYouTubeチャンネルを立ち上げ、MV動画をアップしてくれた。

 

 

数日前に予告的に上げてくれた動画ではMVをスマホで撮影してみたというシンプルな内容だけが伝えられた。(ちなみにどういう経緯でこよ企画が持ち上がったのかは私は良くわかっていなかったりする…)情報解禁時はなんとなくこの曲かなーと吉野さんの口調から予想してはいたものの、更新日に動画の三角マークをクリックした瞬間はドキドキした。

 

 

そしてそれと呼応するかのように鼓膜に響いたのは自分の高鳴る心拍のような軽快なドラムだった。

 

指先まで毛細血管がザワっと反応したのを感じた。私は知っている。この音楽を、声を、そして何よりもこの曲がたまらなく好きであるということを。私の細胞までが大好きな吉野さんの曲と再会できた喜びに悲鳴をあげているようだった。

 

MVに選ばれたのは吉野さんのミニアルバム【CYCLE】に収録されている「はじまりのうた」だった。本人のパキっとした性格を表すようなわかりやすいタイトルのこの曲はライブのOPナンバーとしてド定番の曲だ。

 

イントロのドラム。そこから加わるギター、ベース。少年の声を担当することが多い吉野さんの十八番といってもいい、明るい弾ける声がこの楽器たちの音をまとめるのがサビ前でわかる。そして気持ちが乗ってきた最高潮のタイミングで気持ちにアクセルをかけるように入ってくるブラス隊は爽快だ。

 

 

この楽曲はとにかく気持ちいい。

その大きな理由は吉野さんとサポーターたち(吉野ファンの誇らしい愛称)の熱のこもったコーレスだ。

 

「さぁ!」

 

「はじめよう!」

 

 

リズムと声に合わせて笑顔でスタートを切れるこの楽曲は、この半年間私が「ない」と思っていたものたちによる呪縛から解き放ってくれたような気がする。

 

 

半年間失ったものはあまりにも大きい。

 

 

楽しみにしていたライブがない

 

ワクワクするお出かけの予定がない

 

大好きな人、家族に会えない

 

今までの当たり前がもうそこにはない

 

 

あるのは漠然とした不安と仕方がないという、自分を納得させるための言葉だった。マスク生活を余儀なくされ、笑った顔を見ることがなった。本当はすごく息苦しいけど、自分やまわりを恐怖から守るためだから仕方がない。

 

 

この吉野さんのMVはそんな私の顔から優しくマスクを外してくれたような気がする。

 

MVを1人でも多くの人に見て欲しいから細かいことはここでは書かないでおこうと思う。ただ、冒頭吉野さんがマスクを取った瞬間のあの笑顔が見えた嬉しさが私の胸にしっかり残っている。

 

 

仕方が「ない」と諦めていたことを、

 

私たちの大好きな合言葉である「はじめよう」を通して不安も不満も泣き言も恨みつらみも、マスク無しの呼吸とともにスっと溶けたようだった。

 

 

ないものがたくさんある。

 

けれど「はじめよう」と声に出して顔を上げてみたらきっと「ある」を作れるような気がする。これはそんな気持ちにさせてくれるMVだ。

 

 

 

最後に個人的な小話。

以前ラジオメールで私が「ありえないことを(吉野さんたちのライブで)起こしてくれた」と送ったところ、吉野さんが番組内でこう言っていた。

 

 

「ありえないをありえるにするのがエンターテインメントなんだ」

 

 

 

 

はじまりのうたは吉野さんそのものだ。

 

「ない」から「ある」を作る人だ。

 

65くらいで生きていたい

好きなものは65くらいが丁度いい。

 

これは私の持論だ。

 

自分の心の容量を100だとしたら、自分の趣味事である声優、eighter、ラジオ、お酒、食べ歩き、旅行、などは合計で65くらいにしておくのが1番気持ちが穏やかな気がしている。

 

私の中での物事の優先順位で文句なしでトップにくるのはエンタメとアート。つまり仕事だ。

 

趣味のために仕事を頑張るというエンジンのかけ方も若かりし頃に試して見たものの、私は上手くバランスを取ることが出来なかった。こうやってスパンと割り切れたらいいのに、と何度思ったことか。どうやら私はそこまで器用にスイッチを切り替えられる人間ではないみたい。

 

私の中で仕事を楽しめなきゃ、あらゆるもののバランスが崩れてしまう。つまり趣味を容量いっぱい詰め込んじゃったら、仕事を楽しむための体力がなくなっちゃうのだ。

 

容量いっぱいのHDDを録画したい番組の直前に必死になって整理して削除/編集に追われることがある。その時間が私はとてつもなく嫌なのだ。溜め込んでいる自分も、これから来るはずの楽しいこと(この場合は録画したい番組)のために冷や汗かいてギリギリでいることも。

 

だから65がいい。

 

65くらいで生きていたい。

 

 

 

ちなみに心の容量はパーセンテージで例えるために100と書いたけれど、私の目盛りは欲張りで200にも2000にも出来ると思っている。

 

だから私の65はけして消極的ではない。

可能性を秘めた65なのだ。