恋愛の終わりはグループの解散のようだと思う
つい最近、大きな仕事が無事ひと段落した。幸せなことに自分の書いたものが映像となり世に出たのだ。本当にこのような機会を頂きありがたい限り。
さて、こんな出だしからも分かるように、私は仕事が好きだ。というか好きな事でしかたぶん働けないタイプなのだ。
30代、独身。そんな今、何も守るものが何もない私にとって仕事=誇りであり、自分。
つまり仕事とはアイデンティティなのだ。
ゆえに今の自分には「働かない」という人生の選択はまったく見えない。
Facebookという幸せとイイネが溢れているファンタジーな場所に土日に踏みいれば恐らく人生のどこかで繋がったのかもしれない、名前すら記憶が危うい人たちが結婚して、家庭を築いている。年齢的に子供が出来た話ばかりで、数年前まで御祝儀貧乏だった私は今はおめでた貧乏になっている。ここだけの話、はて?少子化とは?と一瞬疑ってしまうくらい隣の芝生は青いだけでなく、幸せという花が満開だ。
そんな中、私のページは仕事(もしくはライフワーク)であるアートについてのみ。ポリシーといえばカッコつくのだが残念ながらそれは私の意地でしかない。人に見せるトオコという人は仕事しかないのだから。それを取り上げたら私はきっと蒸発してしまう。
なので今回もFacebookではちょくちょく宣伝(というほど大きなものでは無いが)がてら仕事についての記事をアップしていた。
Facebookの記事をアップした直後、見慣れた名前からピコンとイイネが付いた。相変わらず早いなぁと笑ってしまう。名前は見るまでもない。前の人とTwitterで呼んでいる元彼君のなのだ。
そして彼は必ずDMをくれる。
「お前、頑張ってるやん。」
その一言に私は「せやで。でもまだまだ頑張らなあかんねん。」と決まって返す。
「お前の夢はこんなもんとちゃうもんな。」
これが決まり文句だ。
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別れた理由は簡単だった。
原因は私だ。私が意地になって仕事を諦めなかったのだ。笑えるくらいよくある話だ。
お互いこうなることはわかっていたんだと思う。だからお別れしたあとの関係は最強の親友という新たな形を得た。毎週水曜日にはお気に入りの単行本の話をして、オススメし合って。仕事と生活の進捗をして。
元々関東と関西という物理的に住まいが離れていた中での関係だったので別れたあと特に変わったことなんてない気がした。
ただ一つだけ変わったことがあった。
変わったこと。
それは彼が自分の最強の応援団になってくれた事。
それは二人の関係に明白な名前や肩書きがなくなったからだと思う。お互いに求めるものがなくなった。彼女として、そしてもしかしたら将来のお嫁さんとして彼が求めたかったものがスパッとなくなった今、私の仕事を純粋に応援してくれている。誰よりも喜んで、叱咤激励してくれる。
それぞれの人生が離れれば離れるほどお互い絆のような何かを感じた。
こんなこと別れ話をしていた頃、思いもしなかった。
私が1番認めて欲しい仕事を全力で応援してくれる人がいる、その安心感はとてつもなく大きいものだった。
だから私は仕事で負けられないのだ。
負けてる自分を見せたくない。
ほんと、円満な形で笑顔で解散できたグループみたいだなって最近つくづく思う。