carpe diem

声優とラジオとエイトとお酒とアート。時々ドーナツ。

それは間違いなく「今」だったんだ

2020年4月29日。

本来なら47ツアーのフィナーレを早めの夏の香り漂う沖縄で迎えるはずだった日。

この日に公開してくれた関ジャニ∞、メンバー5人でのラジオで発表された企画に私は驚き、そしてその内容にどこまでも彼ららしいなぁと感じた。

 

その企画の名前は【Re:LIVE】

 

もう一度ライブを。

もう一度生きる。

 

5人になってからの8ヶ月でアップデートし続ける彼らのこの企画に私は胸を踊らせた。eightが考えた1番の歌詞に私たちeighterが彼らへの想いを言葉にして送りそこから曲を完成させる。ただでさえTwitter内でお互いの繋がりの強さを感じているのに(この点については主に大倉くんに感謝ですね〜)、そこからさらに双方向に向き合ったベクトルを作ろうとしてくれている。どこまでも果てしなくすごい人達だ。

 

私はまるっと彼らが言う「大変だった2年間」を知っているわけではない。けれど何か書きたいという気持ちで溢れている。

 

そこでちょっと自分の思考をクリアにするという意味も込めてなんで30を過ぎた私が関ジャニ∞に惹かれてしまったのか、そしてこの2年の出来事をどう捉えたのか書いてみたいと思う。

 

 

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1:知っているタレントだった頃

 

日本に住んでいればジャニーズのことを知らずに過ごすのはほぼ無理に近いと思う。ある意味宝塚に並ぶ伝統的エンタメだ。

中学の時はどのグループがどんな曲を歌っているかは昼休みの校内放送を聞けば一目瞭然。運動会で「WAになっておどろう」を練習したし、初めて自分で買ったCDは8センチの「硝子の少年」だった。犬夜叉を見たあとの「学校へ行こう」は欠かさず見ていたし、年が変わる瞬間はカウコンを見ていた。年齢的に少しお兄ちゃんのV6、KinKi KidsTOKIOは同級生の男子なんかと比べたらとてつもなくカッコイイと思っていた。ただ幼かったこともあり、そこにファンクラブがあること、ライブへの参加方法などまったく知らないまま大きくなり、ジャニーズタレントはテレビの向こうの人達という枠を越えて好きになることは無かった。

 

関ジャニ∞という存在は関西育ちだったこともあり早くからは知っていた。けれど自分と同世代の彼らよりもやっぱり憧れてしまうのはお兄ちゃんである年上のジャニーズグループだった。

 

 

2:関ジャムで知ったミュージシャンとしての関ジャニ∞

 

ジャニーズと離れた声優というジャンルでオタクをしていた私大きくを変えたのが「関ジャム」だった。なんとなくその時間帯の番組を見る習慣があり、面白そうな番組やってるから見よう、という軽い気持ちで楽しんでいた。

 

それまで声優が歌う楽曲と慣れ親しんだ洋楽が私のセトリのほとんどを占めていたのだが、そこに邦楽が加わるようになった。特に関ジャニ∞のメンバーによるセッションは毎回素晴らしくて、気づけば毎収録画するようになっていた。途中から特集で学んだことをセッションに反映するようになり、目に見えてみんなの演奏が磨かれていくのを目の当たりにして「すげー」と番組にのめり込んでいった。

 

 

3:渋谷すばるというシンガーの旅立ち

 

そこからもう一歩踏み込むきっかけとなったのは渋谷さんの脱退だ。私ですら「まさか、すばるくんが?」と驚いてしまった。

 

ただ番組と関ジャニ∞の絆を感じたのもまた、この出来事がきっかけだった。なんとなく気になって見てしまった記者会見やメンバーのラジオ。気づけば各音楽番組の最後の出演を見届けていた。そして迎えた最後の日。関ジャニ∞とし手の幕引きをした場所は関ジャムだった。本当にあの1時間は忘れられない時間だった。ここまで番組が魂を込めて人を送り出したことがあるだろうか。言葉に表せられない熱さがそこにあった。

 

これは語弊を産むかもしれないから今まで言ってこなかったが、渋谷すばるというアイドルほどこんな幸せな形でかたちで旅立った人はいないのではないかと思っている。

 

当時はまだ自分がeighterではなかったということもあり、私は冷静に色々見ていたような気がする。

 

同世代だからだろうか。錦戸さんの時もそうだけど旅立ちを決めたメンバーの決断に「わかる」と感じてしまっていた。30代半ばってそういう年齢なんだと思う。標識のない分岐点なんだと思う。私もまた迷って決断して失敗して、そんな繰り返しの上に今がある。

 

 

4:今だと感じた瞬間

 

2019年の2月、泊まりに行った友達の家で見せてもらったのが【JUKEBOX】だった。ここからは多くを語る必要なんてない。開始直前、幕の裏で固く何かを祈りあうかのようにお互いを抱きしめる姿に胸が熱くなった。そこから圧巻の「ブリュレ」。関ジャムでセッションや新曲が出た時に彼らの演奏を見てきたはずなのに、コンサートという聖なる場で開放された彼らの音楽は迫力が凄まじかった。

 

思えばこれが赤い実が実った瞬間だっのかもしれない。

 

そして続くライブ。次に私が揺さぶられたのは「宇宙に行ったライオン」だった。渋谷すばるという稀有なシンガーの吠えるような訴える声。そこに乗る7人の楽器と声。疾走感溢れる曲はすぐさま私のお気に入りになった。

 

好みのどストレートをついてきたのは「Sorry Sorry Love」美しい高めのトーンの声がバシッとテクノサウンドとマッチした丸ちゃんの声に恋したのはこの瞬間だった。元々声オタだから声には敏感なんだろう。レンジの広い歌声、安定感のある低音とがなり、そしてヤスくんとみせる繊細なのに力強いハモリ。この時にはもう恋は始まっていたように思う。

 

赤い実が盛大にバァーンと弾けたのはラスト。今もJUKEBOXのこのシーンを見ると涙が出そうになる。関ジャニ∞恒例の「最高で最強の…」の手を繋ぐ場面だ。ドームでライブツアーをするこの人達と大勢のファン。そのドームというeightとeighterにとっての聖域でみんなが手を繋ぐ。この場面を見た瞬間感動した。誰1人きっと途切れることなくぐるりとみんなでひとつになっている。この場面を見た時私も関ジャニ∞が大切にするeighterの一員になりたいと思ったのだった。

 

 

5:だから今だったんだ

 

実はJUKEBOXを見ていた時、自分の私生活は判断を迫られる場面が重なり迷いが生じていた。選ばなかった道を見ながら後悔もしていた。残酷にも時間だけは前に進んでいて、それに遅れをとってはなるまいと、進まなければいけないと足を引き摺ってきたような状態だった。

 

その時聞いた「LIFE~目の前の向こうへ」や「ノスタルジア」「今」は胸に響いた。

 

関ジャニ∞の曲は単純な応援歌ではない。頑張れと無責任に言葉を投げつけられるのは意外にもしんどかったりする(だからゴリゴリ応援歌は苦手だ)。でも関ジャニ∞はそこで1度は立ち止まっても、折れても、下を向いてもいいと寄り添ってくれた。

 

今の自分をなかなか肯定できなかった私にとって、初めてそれでいいんだと言ってくれたような気がした。

 

私は今思う。

 

2019年というタイミングじゃなかったから私は彼らにここまで惹かれることはなかったのではないか、と。

 

10代や20代の時に出会っていてもその味わいを理解できなかったのではないか、と。

 

今だから私が宝物にすることが出来た音楽体験と出会いがあるのだと自信もって言える。

 

それは関ジャニ∞が常にアップデートをしているからなのかもしれない。

 

 

もちろんこうやって追いかけ始めるとこれは知りたかったなぁという過去はある。私もタイムマシンがあるならJUKEBOXを1度ドームで経験したかった。

 

でも私は思う。

タイミングは間違ってなんかいない。

 

関ジャニ∞に出会い好きになったタイミング。

 

それは間違いなく、今だったんだ。