carpe diem

エイトと声優と音楽とお酒とアート。時々ドーナツ。

起きて半畳寝て一畳。きっと彼はこの先も赤い絨毯で旅するんだ。 ―RYO NISHIKIDO NOMAD LVに参加して思ったこと

12月19日。平日の夜。

会社に1時間の早退申請をしていた私は同僚たちの「お疲れー」の声を背に受けて日比谷の映画館に向かっていた。

 

電車に乗っている間、ずっと心臓が煩かった。ドンドン鳴りすぎて肋骨が若干痛いくらいだ。

 

私の向かう先。それは錦戸亮のソロライブのライブビューイングだった。

 

 

「起きて半畳寝て一畳天下とっても二合半」という言葉がある。NOMADを体験したあとの私の頭をふと過った言葉だ。きらびやかなセットもなんもない。自分の固い意思で新たに歩み始めた錦戸亮というアーティストはアコギ1本とステージにひかれた赤い絨毯1枚ですべて事足りるのだと、たったそれだけで満ち足りているのだとスクリーン越しにステージを見て感じた。ジャーン!!と力強くギターをかき鳴らす姿を見て、この人は自分自身を正解にしようとしているようだと感じた。そしてそれは自分の選択に揺るぎない信念があるのだと見せつけられた瞬間でもあった。

 

 

少し話は逸れるが、私は調べ物が多い仕事の性質上、語るならなんでも自分の目と耳で体験したいという思いが強い。実は当初、亮ちゃんのライブには参加するつもりはなかった。彼の選択を応援する気持ちはあれど、私が大切にしたいのは関ジャ二∞のほうだったからだ。私の役目は見送ることだと10月1日に立ち上げたレーベルを見て思った。「亮ちゃん頑張れ。心からエールを送るよ」と。

 

その後配信でリリースされた楽曲で気になったものを聞きながら、私はやっぱり亮ちゃんのメロディアスな音楽が好きやねんなぁ~と思った。時折その声の先に関ジャ二∞の残像を感じようとしたりした。亮ちゃんが作った関ジャ二∞の曲と交互にプレイヤーでかけながら彼のことを考える時間が少し増えていった。

 

なんでこんなことをしていたのだろうと思うと私には一つだけ不安があったのだと思う。

 

 

「知らない亮ちゃんになっていたらどうしよう」

 

 

潔い亮ちゃんのことだから。

これまでの時間や思い出たちに大事にラベルなんてつけちゃってしまっちゃっていたら私は寂しくなって泣くのかな?

だって亮ちゃん律儀になんでも綺麗にラベリングするやん?

 

そんな不安な思いの先を自分で知りたくなって、ライブビューイングに申し込んだのだった。

 

 

そして。

 

 

ライブは楽しかった。

 

 

終わったあと、地元のエイターの友達に伝えた言葉がすべてだったと今でも思う。

 

「ライブビューイング参加してよかった。」

 

 

最初の涙の波が来たのが関ジャ二∞時代に書いたソロ曲《スケアクロウ》だった。私は新米eighterなのでもちろんこの曲は生で聴いたことがない。メロディは知っていたけれど歌詞まで覚えることはなかった。ただこの日耳に届いた歌詞は今の亮ちゃんのことを歌うようだった。

 

「僕は此処にいるだろう」

「それでも此処にいるだろう」

 

この言葉はずっと共に走った亮ちゃんのファンたちにはどう届いたのだろう。そんなことに思いを馳せると胸がぎゅっとなる。私でさえ、ああ亮ちゃんは亮ちゃんだ、と安心したのだから。

 

 

NOMAD】の曲で好きな《罰ゲーム》《ヤキモチ》は新たな亮ちゃんらしい楽曲。ちょっとした強引さや自分勝手さが出てきちゃう亮ちゃんの恋愛ソングは人間臭さがあるからこそ、私は好きなのだと思う。

 

 

MCで《ヤキモチ》は一緒にカラオケに行った時に彼女(気になってる女の子)に歌って欲しいって照れながらもストレートにいっちゃうあたりが愛おしい。

 

 

前々からこの曲を歌うよ、と風の噂で聞いていて、聞きたいような、聞きたくないような…そんな複雑な気持ちで聞いたのが《Tokyoholic》だった。つい数ヶ月前に十五祭で聞いたばかりの《Tokyoholic》。真骨頂のバンドサウンドが最高にかっこよくて、目をつぶると東京ドームの風景が浮かぶ。この曲は亮ちゃんが関ジャ二∞として演奏するために作ったものだと勝手に思い込んで信じていたからこそ、なんとも言えない気持ちになった。

 

 

 

実際の演奏と声を聞くまでは。

 

 

《Tokyoholic》を歌っていた時の亮ちゃんの表情がずっと脳みそにこびりついていて忘れられないのだ。

 

 

NOMADのバンドメンバーが最高の音を鳴らす。

 

上手い。

 

 

ただ私の耳には何かが違うという思いが大きくなる。やっぱり嬉しそうに亮ちゃんを見てドラムを叩く大倉くん、ベースソロでは口元をハムっとさせてリズムを刻むマルちゃんがいない…音楽知識ゼロの私でも、届く音でわかる。このバンドにはそういう今まで感じていた揺るぎない「何か」が足りない。(当たり前っちゃ当たり前なのだけれど)亮ちゃんが後ろを振り向いた先に今までいた彼らがいないこと、それを楽器の音だけになった瞬間強く認識してしまい寂しくなってしまったのだった。

 

 

ただ変わらないものもある。

声は変わらない。

あの時からまっすぐ思いを届ける錦戸亮というシンガーの強い歌声。

 

 

 

これはファンの好き勝手な妄想だと言われてもいい。ただギターを弾きながら口元を少しだけ上げて笑う感じは、曲への愛とともに、15年間歩んできた時間、そして隣にいた人達への愛を感じたのだ。

 

 

亮ちゃんは嘘をつけない人だ。

好きな物は好き。

シンプルでありたい。

 

そう。

この夜の《Tokyoholic》はシンプルだった。

愛が溢れていて。

そして孤独で。

シンプルだった。

 

 

 

一つだけ気づいたことがある。

それはライブ中、彼はあの赤い絨毯から飛び出すことはなかったのだ。

 

アーティスト錦戸亮はきっとギターを片手に鞄にあの絨毯を持って次の場所に行くのだと思う。その背中はとてもかっこよかった。

 

ああ、亮ちゃんは亮ちゃんだ。

そう思えたことが嬉しかった。

 

私はこの先、そんな彼についていくかはまだ決めかねている。

 

ただ届いた声に私の心が動いたのであれば、私はその直感を信じて、彼を見失わずにいたいと思う。